Sep 28, 2006
モノガタリ
基本的に、調子は普通なのであるが、時々もの思いにふけっていることがあり、これは何だろうなと思うのです。秋だから?うーん、ちがう気がする。時々あたまのネジを巻きなおしてやらないといけません。むかしっから、ぼんやりして一人考えに走りやすいので。自分は、どんくさい人間だと思うのですが、賢いことを書いたり、云ったりしたくなることがあります。そうしないと、昔はバカにされるような気がしてたから。負けたくなかったので(何と戦ってたのかはわかりませんが)本を読みました。本を読むとどんどん一人になっていきました。それで、それではいかんと、からだを使う仕事に急に方向転換したりしたのですが、介護の仕事をしたりしてガンガン勝負していったわけなのですが、病に倒れてしまいました。いろんな人に助けられて今はかなり大丈夫になってきているが、何ごとも恐る恐るです。ちょうど自信のない状態に戻った。無知の知にはまだまだで、何を知らないか、まだわからない点があります。何を語ってもモノガタリになってしまいます。明日も仕事です。
同感です。
生きていくことは、基本的に「恐る恐る」です。
胸を張ってスーツを翻しているビジネスマンだって、
もっと「恐る恐る」の生き方をしているのです。
そんな自分を見つめることさえ出来ないくらい時間と仕事に追われてボロボロになりながら、、
石川さん、ご自身「どんくさい人間」とおっしゃってますが、先人の言葉に、
「野暮は粋に成れるが、気障(きざ)は粋には成れない。」
僕の大好きな言葉です。
少し野暮ったいくらいの人が、深さと親しみと、時々
輝くようなセンスが魅力的なのです。
石川さんが、野暮だといっているのではありません。
きっと、魅力的な方だろうと、お書きになるものを
読ませてもらっています。
ありがとうございます
浪漫堂さん、コメントありがとうございます。
魅力的といっていただいて、大変恐縮しております。
そして、うれしいです。
浪漫堂さんがおっしゃる先人の言葉
浅学にして知りませんでした。
いい言葉ですね!
河島英五という歌手がいて私は大好きなのですが
彼が野暮な素敵さを歌っていたことを思い出します。
そして彼は明晰な認識者でもありました。
難波津
石川様コメントありがとうございます。
大阪の旧名は「難波津」である。
「浪速」とも書く。
難波津を、ひっくり返して欲しい。
「津波の難」なのである。
高速で襲い来る津波は「浪速」のイメージと合体する。
実は、僕の住まいは、「東海地震の想定震源域」の真上で25年以上暮らしてい。
毎日のように地方局の番組で、東海地震の話題が無い日はない。
過去には南海地震の震源域から、大阪を襲った津波の記録がある。
紀伊水道から、ロード状にすぼまった奥に位置する
大阪は、津波被害が最も危険視される地形なのである。
地震は東海地域だけではない。
くれぐれも、警戒あれ。
地名とは、過去の人々が、現代人に贈った記憶の重層性の知恵なのである。
行政改革で、合併が進んで、地名が消えることを
先祖に対する親不孝だと思っている。
大阪から難波のことを連想して、ふと思いました。
先人の知恵
地震恐ろしいですね。大震災から11年たっていますね。私のところは、被害はなかったのですが、家がぎしぎし云うようになりました。
この日記を書いてから、古い物語のことが気になり始めました。浪漫堂さんがおっしゃるように昔の言葉には、先人の知恵がつまっていますね。そこから、多くのことを学ぶことができますね。私はまだまだ詳しくありません。少しずつ学んでいこうと思います。
名前が消えていくのはすごくもったいない事だと私も思います。「難波津」を逆さから読むと、そうなんですね!ひとつ勉強になりました。ありがとうございます。
大阪の賢人
石川様、脅したようなことを書きまして申し訳ありませんでした。
阪神大震災のことを思い起こさせてしまって、、すまなく思っています。
僕が書いた「難波津」は大阪の賢人、「司馬遼太郎さん」のシンポジュームでの講話の内容の孫引きである。
僕の最も敬愛する賢人の一人である。
彼によって、大阪や奈良、京都などの大和由来の土地への憧れが、育まれた。
以来、大和ひいきの静岡県人になってしまった。
言葉の柔らかなニュアンスなのか、肩の力が抜けて
暖かなものに包まれるような雰囲気に浸れるのは
関西の特徴だろう。
食べ物が、めちゃ旨いのも、直接的な原因である。
はい
浪漫堂さま、お気遣いありがとうございます。
司馬さんは私はかつて東大阪(河内ですね)にすんでいた頃、永和にかれの記念館がありましたよ。
writeback message: Ready to post a comment.