Jan 20, 2006
自立支援法
診察に行ってきた。通院費公費負担32条から、自立支援法というのに、四月から変わるらしく、その届けを市役所に出さなければならなくなった。制度が変わるのだが、それは知っていた。しかし、自己負担が5%から10%に変わるので、大変だ。僕のように年金から、(これも自分が払った年金がある意味戻ってきてるのだが、それでも、国のお金であることは間違いない)彼女と生活費を折半して、やっている者にとっては、少し厄介な事になった。日本の社会保障費は結構手薄なのだが、まあ、今までの誰も彼もが、公費負担できていたという状況は終わりになるのだが、というか政府がしたのだが、その是非はまあ置くとしよう。自分でも精神科だけ、なぜ医療費が、安くなるのかは謎だったが、それには歴史的な背景がある。要は、国が、精神の病気にかかった人は、医療のケアといえば、聞こえがいいが、まあ、病院にかかってくださいよと。理由はたぶん、精神の患者が、危険視されていたからだ。そのため、お金は国が払いますよという温情と治安的観点が、あったわけだ。だから、病院をやめずに通いましょうねと。
たしかに、今回の法律は「自立」だ。皆さん自分で払っていきましょうねと。もちろん一定の制限はある。所得の低いものには、自己負担の上限が定められている。いいところは、治安的観点を捨てつつある。だから、「自立」なのだ。でも、同時に温情も切り捨てられていきかねない。というか、正直、お金をとれるところから、とるというのがあるだろう。医療費がかさむから、という理由もあるだろう。もっと困っている人も、普通に医療費払ってますよと。そうですね。でも、全体的には、やはり、手をつけにくいとこから、つけたのは、えらいが、困っている人から取るというトーンは否めない。ここで、小泉さんの顔が浮かんでしまうのは僕だけだろうか?やはり、一連の改革の成果だろう。じゃあ、今の財政赤字はどうすんの?という問いもある。僕の答えは簡単で、日本はそうはいっても、全体から見たら、どんな国よりも、お金を持っていると思うというのに、尽きる。停滞を、不況と言い換えてるだけじゃないのか?だから、「耐震偽造の人」とか、ライブドアのドラえもんの人みたいな「利益優先」で、人を出し抜くような、そして、そこをいじる事に命を賭ける人が出てくるのではないかと思う。盲目的な成長という神話は、まだ生きていて、何のために成長するか、じゃなくて、成長するために、成長する、そのためなら、なんだってやるという別の病気の人をまだ、日本は作っているし、皆その水になじんでいっているような気がする。結果、なじめない人が増えて、本当に病気の人が、できあがるというわけだ。
僕は、これからデイケアに通う申請をしなければならない。その手続きは、少しばかり面倒なものとなった。法律が変わる移行期だからだ。
また、社会評論になってしまったが、元来こういうのは好きなのかもしれない。どこか硬派気取りである。いかん。いかん。
僕は、前の仕事は、見切り発車だったと自分では思うから、やめたのも、見通しがつかないまましんどくなってやめてしまった。だから、今度は慎重に行きたいというのが出てきた。というか、以前ほど無理が利かなくなったのは自分でもわかる。どこか、体が、焦るとしんどくなるようになったのだ。だから、今の社会向きではない。
それで、よく考えたら、ある人に、メールを送りながら、今までの事を振り返れた。年金を取った。その頃は精神的にしんどかったけど、やった。詩集も出した。いろんな人のお世話になった。買ってくれる人、読んでくれる人がいた。それから、ジムも、有酸素運動がいいと本で調べたのと、彼女がチラシを見なかったら思いつかなかった。はじめは、一日うちで悶々とすごすよりはいいと思ってはじめた。そして、デイ。それから、仕事という風に思っている。なんか今日はこの辺で終わり。明日と言っても今日か手続きに行こうと思う。
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