Aug 06, 2009

写楽 幻の肉筆画

syaraku
 (四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪・寛政7年・1795年)

 5日、竹橋の東京国立近代美術館を出てから、欲張って足をのばして両国まで行きました。「日本・ギリシャ修好110周年記念特別展」として、「江戸東京博物館」にて、126点の日本絵画、版画(初期~中期~後期)、摺物、絵本などが公開されました。これらの作品は、すべて「グレゴリオス・マノス」が全財産をかけたコレクションのなかから発見されたものです。

 「グレゴリオス・マノス」は、イスタンブール生まれ。パリ、ウィーンなど各地の大使館勤務のなかで、赴任先で日本の絵画、版画、工芸などを蒐集。定年退職後には、ジャポニズムに沸くパリに移住して、主に1910年~1920年にかけて、日本、中国、朝鮮の作品を熱心に購入しました。

 この蒐集にすべての財産を使い果たした「グレゴリオス・マノス」は、ギリシャに帰国して、コルフ島(別名・キルケラ島)にイギリス占領下時代の建造物である「総督府」に「グレゴリオス・マノス・コレクション」をすべて寄贈して、美術館として一般公開する代りに、ギリシャ政府からわずかな給付金と館内の1室を与えられて余生を過ごすことになりました。マノスの死後、日本美術コレクションは本格的に調査されることなく、その後1世紀近く封印されたままでした。2008年7月より、日本からの調査団が入り、膨大なコレクションが再確認されたのでした。その数は、浮世絵、1600点、絵画200点(日本のみ)、工芸品600点(日本、中国、朝鮮)でした。この調査の後で、日本での公開が実現したのでした。

展示作品リストはここにあります。(すべて、ギリシャ国立コルフ・アジア美術館所蔵です。)


 《余談》
 ホメロスの「オデュッセイア」のなかで「コルフ島」の王女「ナウシカア」が、島に漂着した「オデュッセイア」を救ったという神話がありますね。宮崎駿アニメ「風の谷のナウシカ」の名前は、この神話に由来します。本当に余談ですね(^^)。



 さてさて、この展覧会の目玉は、「東洲斎写楽」が描いた肉筆画扇面「四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪」です。写楽の役者絵版画は、彫師との共同作業であったわけです。写楽が役者絵の世界から隠遁したのは寛政7年(1795年)1月ですが、この芝居が上演されたのはその年の5月ですから、扇に描かれたこの肉筆画は隠遁の4ヵ月後となります。紙だけが残されて観賞用の絵画となっていたとは。。。

 屏風や襖絵などはよく観ますが、もう1点驚いた作品は、障子絵があったことでした。これは障子の桟の痕がうっすらと見えていましたが、やはり和紙だけでした。作者は「狩野養信・他狩野派」、作品名は「郊坰佳勝図帖」、「絹本墨画着色」で「1帖8面」、江戸時代後期のものです。

下の作品は現代とあまり変わらない花火大会の賑わいがわかって楽しい作品でした。
この季節にふさわしく。。。

hanabi
 (歌川豊国・両国花火之図・三まへつゝき・大判錦絵・1804~18)
Posted at 12:37 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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