Jan 08, 2009

ピカソとクレーの生きた時代・20世紀のはじまり

Klee-1  Klee-2

 昨年12月の日記に書いたことですが、パリ国立ピカソ美術館の改修工事のため、主 要作品を網羅した約二三〇点の作品の世界巡回展が実現し、その幸運が日本にもやっ てきました。それと大変に似た状況で、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン 州の州都「デュッセルドルフ」にある「ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術 館」の改修工事のために、休館する機をとらえて、ここに所蔵された作品のうちの57 点が世界を回ることになり、それに先駆けて日本へやってきた、ということです。

 所蔵されている代表的な絵画は、「ピカソ」と「クレー」であり、20世紀に活躍し た画家たちの作品が観られました。この展覧会で最も多かったのは27点の「クレー」 でした。「ピカソ」は6点。「カンディンスキー」「ミロ」「マチス」「シャガール」 「マグリット」「エルンスト」などなど。そしてドイツ近代美術の代表的な画家であ る「マックス・ベックマン」「フランツ・マルク」「オスカー・シュレンマー」など で、20世紀前半という極めて変化に富んだ時代の画家たちです。今回は「クレー」が お目当てで、美術館に足を向けました。

 今からほぼ50年前に創設されたこの「ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術 館」は、第2次世界大戦ののちに終結した、ナチスの独裁政治からの復興をかけた建造 物でもあったのでした。ライン川沿いのドイツ国内で石炭の採掘、製鉄業によって、 最も経済的に豊かな州都「デュッセルドルフ」に置かれることになりました。その時 に美術品が用意されていたわけではありません。美術館が最初にコレクトした絵画は 「クレー」でした。
 では、何故「クレー」なのか?1920年代、「クレー」が、デッサウの総合造形学校 「バウハウス」で教鞭をとっていたこと。さらに、1931年「デュッセルドルフ」の「 芸術アカデミー」の教授であったこと。しかし、1933年国家社会主義のもとで、教授 職を失い、故郷のスイスに亡命して、1940年そこで生涯を終わったのでした。

 もちろん「クレー」だけに留まらず、この20世紀のはじまりとは、美術史のなかで も変化に富んだ時代でもあったわけですね。美術展は以下の展開でした。

Picasso

第一章:表現主義的傾向の展開
第二章:キュビズム的傾向の展開
第三章:シュルレアリスム的傾向の展開
第四章:カンディンスキーとクレーの展開

   (渋谷 bunkamura ザ・ミュージアム)にて。 
Posted at 20:42 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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