Jan 02, 2009
たったたった
元旦に、二ヶ月ぶりに孫に会う。「はいはい」が上達して、狭い我が家の探検に忙しい。「えんこ」も出来るようになり、卓袱台の縁につかまって「たっち」もできるようになりました。用意した離乳食も好き嫌いなく食べる。産まれてから母乳で育ち、身長も体重もともに標準とのこと。ともかく順調に健やかに育ったことを感謝しませう。「たっち」をすると、なぜか「たったたった」と言うのですが、「えんこ」していても「たったたった」と言います(^^)。あれは君の独創的音楽かな?
君を見ていると、幼い子供たちを育てた時間をなつかしく思い出だすとともに、自分の若さゆえの至らなさによる、ちょっぴり苦い思い出もあることも。。。そして君の8キロの命はあたたかく重かった。幼い子供たちを育てていた頃のわたくしの若さを思う。その重いいのちに惜しみなく時間を明け渡し、「自分がいつでもそばにいなければ、この子は死んでしまう。」と思い続けた時間でもあった。こんなにも無条件に惜しみなく時間を差し出したのは、あたたかく育ちゆく幼い子供と、「死」をみつめた父母と姉との看取りの時間だけだったのだと、思いました。その時間のなかで、自分は育てられたのだと改めて思うのでした。
春の児
ちちははを送りしのちの春の児よ
春のあけぼの
産声が聴こえる
小さな手が世界をまさぐる
その微細な動きはさざなみとなる
ちちの最期の手は
なにに触れたのでしょうか?
それきり戻ってきませんでした
やがて姉が そしてははが
みんな戻ってきませんでした
わたくしはその紲のどこにいるのか?
ちいさないのちのかがやき
見失ったいのち
そのいのちの貨車を
生まれでたものたちが繋ぐのでしょう
ちちははよ
これはすべて地上のできごとです。
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