Oct 17, 2008
ジョン・エヴァレット・ミレイ展
↑は、一番わたくしが気に入った作品。「初めての説教・一八六三年」&「二度目の説教・一八六三年・一八六四年」です。この二枚の絵が並んでいました。そこにしばし佇んで、にこにこ。。。「ミレイ」の画家としての思想なんぞ、どうでもよろしい。ひたすらにかわいい(^^)。下記の⑤「ファンシー・ピクチャー」の最初に展示されていました。
《ローリーの少年時代・一八六九年・一八七〇年》
さてさて、秋晴れの十五日午後に、渋谷Bunkamura・ザ・ミュージアムにて、「ミレイ展」を観てきました。平日の昼間でしたのに、チケット売り場では少しだけ時間がかかりました。展示会場もゆっくりと観るのには、ちょっとだけ辛い状況でした。多分今回の試みは日本では初めてのことだったからでしょうか?
ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~1896)は、イギリス領ジャージー島にうまれました。この島に領地を擁するミレイ一族の歴史はながく、ノルマン人のイギリス(イングランド)征服時代にさかのぼり、十一世紀からの歴史となる。
こうした裕福な家の次男として生まれ、少年時代から才能を開花、九歳のミレイ少年は、ロンドンに出て、当時のロイヤル・アカデミー(王立美術院)会長であった「サー・マーティン・アーチャー・シー」の指導を受けることができました。そして一八四〇年、十一歳という記録的な年齢で「ロイヤル・アカデミー・スクールズ」への入学許可が下りました。
この幸福な天才画家は、生涯に渡って陽のあたる道を歩き、たくさんの家族にも恵まれていたようでした。この画家の生涯を通しての全点とはいかないにしても、七十三点の作品が一度に観られるということは、幸福な時間でした。作品は年代順に、「ミレイ」の画家としての軌跡を追う形で展示されていました。
①ラファエル前派・・・(一八三八年~一八五四年)
②物語と新しい風俗・・・(一八五二年~一八六二年)
③唯美主義・・・(一八五八年~一八七二年)
④大いなる伝統・・・(一八六九年~一八九四年)
⑤ファンシー・ピクチャー・・・(一八六三年~一八八九年)
⑥上流階級の肖像・・・(一八七〇年~一八八六年)
⑦スコットランド風景・・・(一八七三年~一八九二年)
一八四八年(ミレイ十九歳)に、ハント、ロセッティーらと共に「ラファエル前派兄弟団」を結成、革新的芸術運動の中心的役割を担います。そこからはじまった「ミレイ」の上記の時間の経過のなかでは、「ミレイ」の思想的な変遷ももちろんあるのでしょうが、わたくしは美術評論家ではありませんので、ここは書けません。
↑は有名な「オフィーリア」。ここには十一種類の花が描かれて、それぞれの花言葉に意味を託しているようです。またこの絵には留学中の夏目漱石が出会っていまして、それは「草枕」に書き残されていますね。
『ミレーはミレー、余は余であるからして、余は余の興味を以て、一つの風流な土左衛門(!!!←これはわたくしの付け足しです)。を書いてみたい・・・』と。。。
「オフィーリア」の花についての詳細は「Talk Room 」の方でご紹介します。
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