Oct 11, 2008
アンチ・フェミニズム??
フェミニズムとは、女性の社会的、政治的、法律的、性的、経済的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し、改正しようとする思想運動。十九世紀から二十世紀初頭の欧米諸国を中心とする女性参政権運動の盛り上がりを第一波。一九六〇年代以後の「ウーマン・リブ」に代表される動きを第二波と区別することが多いようです。
「青鞜」は、上記のほぼ第一波に当るのでしょうか?それは一九一一年(明治四十四年)から一九一六年(大正五年)にかけて発行された女性だけによる文学誌です。当時の家父長制度から女性を解放するという思想のもとに、平塚らいてうが創刊。誌名は生田長江の命名。当時のヨーロッパで知的な女性達がはいていた靴下が青かったことから「ブルー・ストッキング」と呼ばれたことに由来する。
同誌第一巻第一号に平塚が著した「元始、女性は太陽であつた。」という創刊の辞は、日本における婦人解放の宣言として注目され、多大な影響を及ぼしました。一九一三年四月、文部省の提唱する「良妻賢母」の理念にそぐわないとの理由により、発禁処分を受けました。一九一五年一月号より、発行人が平塚から伊藤野枝に交替。一九一六年二月に無期休刊となりました。
この重い歴史に反論するつもりは全くないのですが、これによって「家の外で働く女性」の歴史の基礎が築かれたのだろうと思います。ここからは打ち寄せる波のごとく、女性運動は拡大、拡散してゆくことになりますね。その流れはどこまで行くのやら。。。
わたくし自身は、この流れにおかまいなく、「外で働かない女性」を生きてきました。育児、家事、老親の看取り、これは重い労働でありながら、社会的評価は低い。「最初」の育児、最後の「老親問題」は、まず働く女性には出来ない。子供を持った働く女性は、身内の援助や、「育児」の賃金をどこぞに支払って、「育児」負担を減らしただけにすぎない。「老親問題」は「仕事が休めない。」という理由で免除されてきた。(←誰に?)こうして「外で働かない女性」が担ってきた役割は大きい。
お次は「まごまご問題」です。こういう時代の若い母親の育児期間の憂鬱は、深刻な社会問題です。これをなんとか助けるのは、またまた「外で働かない女性」の新たな仕事となるわけですね。なんとまぁ。充実した人生でしょう♪
それでも、世の中では「働く女性」は、それだけで世間からは高い評価を受けるのですよ。ごくろうさまです。乞う反論(^^)。
世間の評価とは何?
世間の評価というのはどのような物なのでしょうか?それを求めて外で働くとも思えないのですが。
はじめまして。
どこを辿って、このような僻地にいらしたのでしょうか?
お名前もわからない方にどうお答えすればよいのやら?
反論がくることは承知して書きました。
わたくしが、このような暴言を書くことも稀有なことです。
簡単にはお答えできません。申し訳ありません。
思うことが二つ有りました
考えさせられるテーマですね。
まず、「外で働く女性」と「外では働かない女性」の比率はどんなものなのでしょう。こういう問題意識を持っていなかったために、そこから考えなければなりません。唐突ですが小渕優子さんは主婦をどの程度おやりなのか?そういう生々しいことから、私などは考え始めなければならないので、余り高度な議論には参加できませんね・・・^^
もう一つは、これも身近な発想ですが、連れ合いは専業主婦でしたが子供達が小学校へ入ってから、60歳過ぎまで高校の教師をして「外でも働く女性」でした(亭主が不甲斐ないからですが)。一方次女は34歳ですが弁護士をしていて、私は早く良い人を見付けろと嗾けています。
家庭の内幕を書いたのは、これで全員まあ一応ですが、幸せに、不平なく、それぞれの人生を満喫していると云うことを言いたかったからです。
だから、「外で働く」か否かは、人生の充実度と無関係ではないかと、どちらのサイドの人も死ぬときに、「ああ、良い人生だった」と言えればそれで良いのだと・・・こんな暢気なことを書いていると叱られるかも知れないのですが・・・^^
やはり解せなくて・・・
しかし察するにあきこさんは、立派な主婦つまり、妻であり、親であり、子でありながら、このようなサイトから世の中へ発信し、更には二冊の詩集まで上梓なさっています。
これって、家の中に居ても「家の外で働く女性」なのではありますまいか。とすれば、上の一文は自己を客観視しようとの作業の一環ではありますまいか。
などとも思っているのですが・・・(^^;)
どうもまとまりがなくて。
リベルさんの貴重なお時間を頂いてしまったようで恐縮です。
まず、先に申し上げておきます。詩人は賃金の出る仕事ではありません。
詩集出版(実は三冊。)も、自費出版という形式が大方の詩人の現状です。
つまり詩人というものは市民権がないのです。(←深刻なジョーク。笑。)
これはさておき。
「青鞜」に始まった「女性解放」の思想は、あまりにも拡散してしまったという感覚がわたくしには拭えないのです。そしてその素朴な出発点がなんであったのか、それを継承しているのか?という疑問もあるのです。「女性」であることが生きる上での「武器?」にもなる、ということもあります。これも含めて今の若い女性は本当に自立できているのか?「自由・平等」をはきちがえていないか?という老婆心が拭いきれないのです。
また、「外で働く女性」=多忙&困難。「外で働かない女性」=有閑。と言う単純な世の図式に立腹しているのです。専業主婦が担ってきたものは大きいのです。
大分前の、ありふれたテレビドラマでしたが、そのなかで娘が母親に「いつも感謝しているのよ。」という言葉に対して「トイレにいつも花を欠かさなかったことに気付いていた?」という母親の質問に娘は絶句します。それは奇妙にいつまでもわたくしのなかに残りました。
リベルさんの奥様の生き方には、頭が下がります。
想像ですが、わたくしの考えている「外で働く女性」の理想の姿ではないかと。
三十年以上の主婦人生を総括することは困難なことです。
なんとかきちんとお答えしたいのですが、申し訳ありません。
いえいえ、」そうではありません・・・
>リベルさんの貴重なお時間を頂いてしまったようで・・・
全くの誤解です。私はお考えになっているより、はるかに自己中ですから・・・^^
>「トイレにいつも花を欠かさなかったことに気付いていた?」
これは大切な指摘だと思います。「フェミニズム」というとき、こういうジェンダー特性が、除外されていることが因習的で、正しい理解を妨げて居るのかも知れませんね・・・^^
では.
>私はお考えになっているより、はるかに自己中ですから・・・^^
そのご性格で「いいこ」の奥様にご苦労かけませぬように♪
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