Sep 03, 2008
フェルメール展・光の天才画家とデルフトの巨匠たち
暑さのぶりかえした二日午後の上野公園を歩くと、樹々の蝉時雨が耳にあふれました。上野都美術館にて「フェルメール展・光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を観てきました。四〇点という展示ですので、美術展としては少ないものでしたが、おかげでゆっくりと観ることができました。混んでいることも心配しましたが、行列ができたり、観るのに苦労するほどではありませんでした。
四〇点の内容は・・・・・・
ヨハネス・フェルメール(一六三二~一六七五)作品は七点。
ピエール・デ・ホーホ(一六二九~一六八四)作品は八点。
カレル・ファブリティウス(一六二二~一六五八)作品は五点。
後の二〇点はモロモロ・・・すべてデルフトの画家たちです。
さて、デルフトの画家たちの生まれた時代背景とはどのようなものだったでしょうか?近代西洋史上、もっとも長い戦争(一五六八年~一六四八年)で、スペインから勝ち取った、プロテスタントのオランダ共和国は、移民を迎えることで人口増加をはかり、すべてのキリスト教国の中で、最も裕福な国家となります。海洋事業の中枢となって、それは日本の出島にまで及ぶ時代でした。こうしてオランダは、文化、経済の頂点にありましたが、一九七二年にその繁栄は終わりました。この約四半世紀が、「デルフト絵画」の最盛期だったわけです。
まず、四〇点の絵画全体の画風が似ていることに気付かされます。そして宗教画がほとんど姿を消した(教会の内部や外観の絵画はありますが。)こと。デルフトの町並と、そこに暮す庶民(特権階級ではなく。)の様子、家々のなかの構図など。
そして、フェルメールたちの人物画のほとんどが、左側に格子窓や、ステンドグラスが描かれ、そこから射しこむ《光》に浮き上がるような構図であったこと。以前「国立新美術館」で観た「牛乳を注ぐ女」にも観られるものと同じです。当時の絵の具の独特な《光》によって、デルフトの「光の画家」を生み出したようですね。
それから、この時代の文化というべきか、流行というべきか、「手紙」が盛んだったことが伺えます。窓辺の明かりで手紙を書いたり、あるいは届いた手紙を読んでいる女性の姿がいくつか描かれていますね。インターネット時代を生きるわたくしたちの通信時間との大きな隔たりを感じつつ、その手紙の持つ時間を思ってみるのでした。
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