Aug 15, 2009
ビルマの竪琴(1985)
監督:市川崑
原作:竹山道雄
脚本:和田夏十
音楽:山本直純
《キャスト》
中井貴一(水島上等兵)
石坂浩二(井上隊長)
原作者の「竹山道雄・1903年~1984年)は、評論家、ドイツ文学者、小説家。第一高等学校教授、東京大学教養学部教授などを歴任した。一高教官として多くの教え子を戦場に送り出した体験に基づき、1947年に小説『ビルマの竪琴』を発表。1948年に毎日出版文化賞を受賞。「竹山道雄」が唯一書いた「児童読み物」という意味でも、この小説への思いの深さがわかります。
さらに、この小説の映画化は、同じ監督「市川崑」によって、1956年、1985年と2回行われているということも稀有なことかもしれません。
ビルマ(現・ミャンマー)に送られた部隊の兵士たちの敗戦から捕虜収容所での日々と帰国までの物語です。事実ではないと言われてはいますが、水島上等兵のモデルは、福井県永平寺で修行中に召集され、南方戦線を転戦しビルマで終戦。捕虜収容所では合唱団を結成していたという。復員後、群馬県昭和村で僧侶になった方のようです。その後ミャンマーキンウー市に小学校を寄贈、2008年12月17日死去。享年92。
小説と映画のなかでは、「水島上等兵」は部隊の方々と共に復員せず、ビルマで僧侶となり、ビルマで戦死した多くの兵士たちの御霊を守るために残ります。
おそらくビルマにはたくさん生息していたのではないか?と思われる、人なつこい「インコ」が2羽登場します。1羽は部隊を離れて僧侶として、ビルマの戦没者埋葬に働く「水島上等兵」の肩に。もう1羽は「井上隊長」率いる部隊に。前者が覚えた言葉は「にほんにいっしょにかえれない。」・・・後者は「みずしま、いっしょににほんへかえろう。」でした。この「インコ」は島に住む老婆によって交換され、後者は復員船に乗りました。
ミャンマーの竪琴
竪琴の美しい音色はいつまでも耳に残ります。戦争は何だったのでしょう?さまざまな凄惨な場面を見て、あるいは体験してきた人々すべてが狂気の時間だったはずです。その「シンドローム」から開放された人々が果たしているだろうか?
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