Aug 21, 2006
贈答の詩② 小川三郎詩集「永遠へと続く午後の直中」への挨拶詩
小川さんの詩作品はそれぞれがシュールな物語のワンシーンのようでした。あなたはその物語をみずからの歩幅で歩いてゆく。時には走る、時には落ちる。その言葉には「バネ」のようなものがあって、それは時には粗暴で、時にはやさしかった。
さてさて批評を書けないわたくしは、この詩集の美味しい言葉の素材を頂いて、別のお料理をしてみましょう。「たべてくれるな」と呟いてももう遅いです(^^)。不出来ではございますが、どうぞめしあがれ。。。
【付記】この作品掲載については、小川三郎さんの許可を頂いております。
二度とないものを
あの女の胎内の児は
どうやら翼があるらしい
たまごの殻を破るのか
暗い産道を潜りぬけるのか
その双方の合意がないままに
胎児はずっと不機嫌だった
女が散漫な日々を過している家では
百歳のおんなが死んだ
枕辺に残された人形は不死
限りあるものとそうでないものが
古い家のすみずみまで
強い糸で結ばれている
季節は狂いなく進む
男はまた一年の節々を丹念に死ぬ
そして繰り返される
彼岸花の野原のひろがり
赤鬼の昼寝
そうしてあの胎児は
時を切り裂いて生まれてきたのだった
永遠へと続く午後の直中へ
飛ぶのか
這うのか
歩くのか?
名付けてあげよう
二度とないこの時間を生きるには
愛するものから呼ばれるためには
一つの名前が必要だ
(二〇〇五年。思潮社刊)
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拝読しました
素敵な詩ですね。それに、挨拶詩って素敵です。
四連を読んでいて、百年の孤独のラストを思い出しました。
そういえば、小川さんの詩の死生観って、どことなく南米的かも。んむむ。
Posted by 白井明大 at 2006/08/24 (Thu) 10:30:48
ありがとうございます。
以前からこういう試みをしてみたかったのです(^^)。自分が詩評を書けないことに気付いて、こうした試みならできるかもしれないと思ったわけです。
「相聞」「連詩」「贈答」などなど。。。
竹西寛子の「贈答のうた」という著書がありますが、そこには日本の詩歌の伝統の源は「贈答」にあったのだと書かれていまして、とても納得しました。
白井さんにも、いつかお贈りしたいです。。。
Posted by あきこ at 2006/08/24 (Thu) 16:24:00
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