Aug 29, 2009

子どものいない世界  フィリップ・クローデル

Claudel

翻訳:高橋啓
挿画:ピエール・コップ


 「フィリップ・クローデル・1962年フランスのローレンス生まれ」の著書は、「リンさんの小さな子」「灰色の魂」に続いて彼の著書を読むのはこれが3冊目です。前記の2冊とも全くタイプの違う小説でしたが、この「子どものいない世界」は絵本です。翻訳者の高橋啓氏も大いに戸惑い、かつ翻訳に苦しんだようでしたが、でも楽しんだのではないでしょうか?この著書の献辞には・・・・・・


  日々驚嘆させてくれるうちのプリンセスのために
  いずれは大人になる子どもたちのために
  そして、かつて子どもだった大人のために


 ・・・・・・と書かれています。この「うちのプリンセス」とは、「フィリップ・クローデル」のベトナム生まれの養女「クレオフェ」のことでしょう。この著書のプロデュースは「クレオフェ」の養母であり、また「フィリップ・クローデル」の奥さまでもある「ドミニク・ギョーマン」です。ここには20篇のお話や詩篇が収録されています。

 その第一話が「子どものいない世界」です。ある日突然世界中の子どもたちがいなくなってしまうのです。以下のメッセージを残して。


 『いつもしかられてばっかで、ぼくらのはなしなんかぜんぜんきいてくんないし、あそびたくてもあそべないし、やたらにはやくねなくちゃなんないし、ベッドでチョコたべちゃだめだし、いっつもはをみがけってうるさい。おとなにうんざり、でていくからね。あとはかってにしたら! 子どもいちどう』

 
 ここの部分の「高橋啓」の翻訳作業はさぞ楽しかったのではないかと想像します(^^)。さて、子どもたちが行ったのは、世界中の大人が知らない「マデラニア」という国の南の果てにある「ケランバラ」というオアシスでした。子どものいない世界は奇妙な眠りのなかにおちてしまったようで、教皇、ダライダマ、各国の大統領、元首、首相、親たちがテレビとラジオで必死で呼びかけ、子どもたちはようやく帰宅したものの、その子どもたちもやがて大人になって・・・・・・。お話はえんえんと繰り返されていくのです。。。

 もう一話「どうかでかっぽじっとくんなさい!」という奇妙なタイトルの物語は、意味をなさない造語で綴られた作品で、フランス語の「音」の効果で出来た作品ですので、翻訳者が「ほとんど翻訳不可能に近い。」と言いつつも、匙を投げるわけにはいかず、著者とのメールのやりとりで、なんとかかたちにしたそうです。フランスの子どもたちなら大笑いするそうですが、日本の子どもにはわかるだろうか???この物語の全部がこうした言葉で翻訳されているのですから。最後はこのように終ります。わかりますか?

 『では、たらっちょ、こむむすさま、たらっちょ、がりれば、よいほろんちを!』

 同じ日本国内であっても、ほぼ標準語で育ったわたくしには、特に高齢者の方言は理解不可能なほどわからないことがありますが、音を聞き分けるとなんとかぼんやりと標準語に置き換えることはできます。そんなことを思いだしました。

  *   *   *

 近頃「翻訳」というものがいかに困難なことであるのかを実感(←と言ってもわたくしができるわけではありません。すみませぬ。)しています。「翻訳」ということを考える時にいつも思い出す言葉があります。それはポーランドの1996年ノーベル文学賞受賞詩人「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」の「橋の上の人たち」を翻訳された「工藤幸雄」の言葉です。

 『未知であった彼女の詩集の1冊をこのように晴れがましい形で〈試訳〉する幸福を訳者は恵まれた。あえて〈試訳〉とへりくだって、そこに拘泥する。訳詩とは、あくまでも〈試みの翻訳〉に過ぎないと思うからだ。ひとつの訳語の選択は詩想の伝達を大きく左右する。原詩の心の揺れの総量がそのまま伝達できるとは訳者は思えない。
 畏れ多い名を掲げるなら、かの上田敏「海潮音」、また堀口大学「月下の一群」ほか諸先輩の訳業に及ぶべくもない。』

 (2006年・みすず書房刊)
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