Aug 10, 2009

ドゥイノの悲歌ーメモ5

picasso
 「サルタンバンク・大道軽業師  ピカソ」

 ドゥイノの悲歌・5」について書いてみます。ここの章は、パリの広場で興行する旅の「曲芸師」たちのことが書かれています。これは「リルケ・1875年~1926年」が最後に書いた章ですが、これはもともと10番までありますが、書かれた順番にはなっていません。まずは古井由吉が、この5番を翻訳しながらつぶやきのようなメモも書いていますので、そこから引用します。

 「過少」とある脇に「できない」と、「過多」とある脇に「できる」と、それぞれにルビをふろうかと思うが止めておこう。

 この古井由吉のつぶやきは、曲芸師を有能な外科医と例えてみてもいいかもしれません。難しい手術を冷静沈着にやり終えて、患者の経過も良好、しかし時には外科医は悪夢をみる。そして曲芸師は時には失敗して落下することもある。見事に拍手喝采をあびることもある。「できる」と「できない」との境界線は、揺れながら存在するだけで、子供の曲芸師であれ、老練な者であれ、太った大男、小人であれ同じことだが、しかし本当に「できない」時は必ずくるのです。

 そして、別の場面から登場してくる「マダム・ラ・モール」とは「死の夫人」であり、街の雑踏を歩きまわりながら、美しいモードを飾りつけたりしながら、時には「死の衣装」を纏わせたりする存在かもしれないのだった。


 この街を1枚の絵画として考えてみませうか。もう1人の翻訳者「手塚富雄・1903年~1983年」の生きた時代ならば(もちろん古井由吉・1937年生まれも。)「ドゥイノの悲歌・5」と、「ピカソ・1881年1~1973年」の絵画「サルタンバンク・大道軽業師」とを連想することは容易なことです。(リルケはピカソを知っていたのだろうか?)この絵画のような人々が、パリの広場に小屋を建て、使い古した絨毯を敷き、曲芸を見せて、客の喝采を浴びたり、驚かせたりするのです。もちろん詩人リルケも驚き、喝采するのですが、この曲芸師たちから立ち昇ってくる「死のにおい」までも吸い込んで苦しむことになるのです。それは曲芸とは、組み上げられた樹のようなものでありながら、その樹の果実は「落下」しかないということに注目するからでした。わたくし的には映画「道」まで思い出しました。

 「マダム・ラ・モール」、「曲芸師」・・・・・・パリの広場では際限もなく見世物小屋が建つ。客が投げ出してゆく硬貨・・・・・・それはいつか、すべて死者が隠し持っていた硬貨になってしまうのではないか?

 
 この解釈は、どこからからか猛烈なお叱りを受けるだろうなぁ。これも楽しみです。曲芸の詩ならば、読む方も曲芸なのですからね(^^)。恐るべき誤読やもしれぬ。


  *   *    *

 リルケの詩には、「悲歌」に限らず、何度も「噴水」という言葉が使われています。それはこの地上のさまざまな出来事を「詩の言葉」として、噴水のように昇りつめては、天使に届かずに落ちてきてしまうことの哀しみなのではないかと思われます。この「悲歌」全体は天使への呼びかけであり、「愛する女たち」への捧げ物であったりしますが、「愛の呼びかけ」を届け続けることをやめることはできないのでした。


 噴水   リルケ

ああ 昇ってはまた落ちてくることから
この私の内部にも このように「存在するもの」が生まれでるといい
ああ 手なしで さし上げたり 受け取ったりすることよ
精神のたたずみよ 毬のない毬遊びよ


《付記》
今夜は台風が来るというので、過剰なニュースに脅えて不寝番中です。


《もっと大切な付記です。》
ピカソの軽業師の絵を買うようにと、リルケは、この悲歌5番を献呈している女流作家、Hertha Koenigに助言をしたそうです。ですから、リルケは、ピカソのこの絵を知っていたのです。これはここをお読み下さったI氏からの助言です。ありがとうございました。
Posted at 18:30 in book | WriteBacks (0) | Edit
Edit this entry...

wikieditish message: Ready to edit this entry.

If you want to upload the jpeg file:


Rename file_name:

Add comment(Comment is NOT appear on this page):
















A quick preview will be rendered here when you click "Preview" button.