Jun 10, 2009
トニオ・クレエゲル トオマス・マン
翻訳:実吉捷郎
トーマス・マン(1875~1955)の少年期から青年期までを書いた短編「トニオ・クレエゲル」再読。11ページ目のこの↓数行で、すでに涙がでてきました。
打ち明けていえば、トニオはハンス・ハンゼン(同級生の美しい男子)を愛していて、すでに多くの悩みを彼のためになめて来たのである。最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まなければならぬ――この素朴でしかも切ない教えを彼の14歳の魂はもはや人生から受け取っていた。
さらに金髪の美少女「インゲボルグ・ホルム」への恋も発展はみられず、トニオは社会的には恵まれた一族(名誉領事クレエゲル家)の少年でありながら、孤独と離れることはできず、夜の庭に立つ大きな栗の樹と語り合うのだった。無論生きていることの幸福感がなかったわけではないが。しかし「クレエゲル家」は衰退してゆきます。青年トニオは故郷を離れて暮しますが、文学者として生きてゆくことはできても、孤独からは逃れることはできませんでした。そこまでがこの小説です。
トーマス・マン自身の生涯は、幸福(と、言っていいのかな?)な家族も、不足ない経済力も手にいれています。
トオマス・マンの「トニオ・クレエゲル」を読みながら想起されるものは、ゲーテ(1749~1832)の「若きウェルテルの悩み」、リルケ(1875~1926)の「マルテの手記」・・・・・・この連想は無理ではないように思われる。「マン」と「リルケ」は同年に生まれています。80歳まで長生きしたのが「マン」であること、「リルケ」は10年かけて「ドゥイノの悲歌」を完成させて間もなく、51歳でスイスで亡くなっています。同じナチス時代を亡命という運命を辿ったこと、スイスにいたことなど、2人の共通性は多いのです。
さらに日本の老作家大江健三郎の「憂い顔の童子」を思い出したら、どこからかお叱りを受けるだろうか???
さて小説とは摩訶不思議な世界です。一見「自伝小説」に思わせる作品であっても、これはあくまでも小説なのです。事実ではありませぬ。これについては大江健三郎の小説「憂い顔の童子」から引用してみましょう。これは主人公の老作家「古義人」の母親の言葉です。(しつこく言いますが、これは小説です。誤解なきように。)
「古義人」の書いておりますのは小説です。小説はウソを書くものでしょう?ウソの世界を思い描くのでしょう?そうやないのですか?ホントウのことを書き記すのは小説よりほかのものやと思いますが・・・・・・
あなたも『不思議な国のアリス』や「星の王子さま』を読まれたでしょ?あれはわざわざ、実際にはなさそうな物語に作られておりますな?それでもこの世にあるものなしで書かれておるでしょうか?
「古義人」は小説を書いておるのですから。ウソを作っておるのですから。それではなぜ、本当にあったこと、あるものとまぎらわしいところを交ぜるのか、と御不審ですか?それはウソに力をあたえるためでしょうが!
以上が引用です。マンやゲーテやリルケと大江の違いといえば、ドイツの文学者たちが比較的若い時期に書いていますが、大江は老年になって書いているということです。これで多くの文学者たちが生涯に渡って「世界との違和」のなかで書き続けたのではないか?という思いは引き出せました。
「続く」と書きたいところですが、さてさてどうなることやら。。。
(2008年・第5刷・岩波文庫)
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