Dec 07, 2008
神さまの話 リルケ
キリスト教の国々、とりわけヨーロッパでは、年末になると町々の広場にはクリスマス商品の市が立つ。それにしたがって書店では、プレゼント用の「クリスマス本」が売り出される。一九〇〇年、ライナー・マリア・リルケ(一八七五~一九二六年)のこの本もその一つだった。しかしまだ若く無名だった詩人の本は、重ねて無名の出版社から出されたこともあって、当初はあまり売れなかったようだ。タイトルも「神さまのことやほかのこと」というあいまいなものだった。
一九〇四年四月に、美しい装丁と良書で知られる「インゼル書房」で改めて出版された時に、タイトルは「神さまの話」とすっきりとしたものとなり、リルケもすでに無名ではなかった。もはや「クリスマス本」という季節商品の粋を超えていました。この本の扉には、こう記されています。
神さまの話は、エレン・ケイの有(もの)なり。
ライナー・マリア・リルケ 一九〇四年四月 ローマにて
この「エレン・ケイ(一八四九~一九二六年)」は、かのスウェーデンの社会思想家、教育学者、女性運動家、フェミニストであり、「青鞜」などを通して、日本の婦人運動に絶大な影響をもたらした女性かと思いましたが、どうやら架空の名前らしい。これはこの本を贈り物にする際に、書き入れるサインの参考文のようなものです。以来ドイツの市民社会の古典的名作の一つとなり、今日までの発行総部数は計りしれない。
* * *
この本を再読(いつ読んだのかなぁ。はるか昔だなぁ。)しながら、この著書全体のお話の展開から、「アンデルセン」の「絵のない絵本」を思い出されてしまうのでした。リルケは、近所の奥さん、教師、若者、子供、そして多くは足萎えた友人に語りかける形式で書いていますが、「絵のない絵本」は月が夜毎に、孤独な若者の窓辺に現れて、通過してきた風景や世界中の人々の話をするというものでした。
リルケは二度のロシア旅行を終えた直後にこれを書いていますので、十三話のなかには「ロシア」のお話もたくさん出てきました。またリルケはロダンの秘書を務めた時期もあって、これが画家たちのお話に実を結んでいるようでした。この十三話は子供のために書かれたものではなく、子供にお話をしてあげる大人のために書いたもののようでした。最後の「闇にきかせた話」の終連が、この一冊のメッセージのようでした。
『この話のなかに、子供たちの知っていけないことは、なにひとつ、ありません。にもかかわらず、子供たちは、いまだに、聞いてはいないのです。それはいたしかたありません。僕はこの話を、闇にだけ聞かせて、余人にはしなかったからでした。(中略)でも、いつかは、こどもたちにも、闇を愛する時期が訪れるでしょう。そうして、闇から、僕の話を、受け取ってくれるでしょう。また、そのころになれば、子供たちも、この話の意味が、いっそうよく、理解できるにちがいありません。』
「神さまの話」とは言っても、ここには教訓のようなものは全くなくて、人々の日常あるいは旅先のロシアで見聞したもの、あるいは画家たちの世界など、特別なお話ではありませんが、この物語の語り手はいつでも、知らず知らずに聞き手の心の深部へはいってゆきます。あるいは物語の聞き手の思わぬ応答が、あらたな視野を拡大して、「神さま」の存在の捉え方が拡がってゆきました。
(新潮文庫・谷友幸訳)
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