Jul 09, 2007
深き心の底より 小川洋子
この本を読みながら、わたくしのなかでしきりにある古い友人の言葉が浮上してきました。それはこのエッセー集のなかに頻繁に登場する「物語」という言葉のせいだろうとおもいます。それについて少し書いてみます。
その友人と初めて会ったのは、偶然にわたくしの七月の誕生日でした。(ホラ。ここからもう物語がはじまっている。)友人の事務所を訪問して、語り合っているうちに、ふと壁にかかったカレンダーを見ると、七月某日に「誕生日」と書いてあったのでした。それから長い空白をおきながらも細々と交友は続きました。そしてある時に初めて二人の合同誕生日祝いをやったのでした。その時わたくしは、過去に何度か繰り返した質問を改めて言ってみました。
「八十歳のおばあさんになっても、会いに来て下さいますか?」
「もちろん。」
いつでも同じ即答がかえってきました。八十歳の自画像を、わたくしのなかで確かに描けるわけではない。生きていないかもしれない。友人もおそらく同じこと。即答できる友人の無頓着さを思うとともに、生きることへの躊躇の言葉を押しのけてゆく圧倒的な力を感じました。そうして押しのけられ、作られた空間のなかで、わたくしは幾通りもの物語を自由に作ることが許されていると思えるようになったのです。
抱えきれないほどの淋しさや悲しみや苦しみ、あるいは溢れでてしまう思い、それを放置すればひとの心は壊れる。それについて小川洋子はこう書いています。『背負うには過酷すぎる現実と対面した時、人がしばしばそれを物語化することに気づいたのは最近だ。現実逃避とは反対の方向、むしろ現実の奥深くに身体を沈めるための手段として物語は存在する。』
数冊の小川洋子の著書を読んできましたが、この著書によって、わたくしは初めて彼女の生い立ちの背景に「金光教」があることを知りました。彼女の父方の祖父の家は教会であり、母親の両親も熱心な信者でした。小川洋子はそこに生まれおちたのです。宗教の選択の余地はない。しかし強い拒絶もなかったようです。その祖父の生きる支柱は「金光教」であり、そのご祈念の後で歌われるのが西田幾太郎の短歌だったそうです。この本のタイトルはその西田の短歌の一節でした。
わが心深き底あり喜も憂の波もとゞかじと思ふ
(一九九九年・海竜社刊)
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