Jan 22, 2007
朗読者 ベルンハルト・シュリンク 松永美穂訳
最後まで読み終えて、久しぶりに良い本に出会ったと思いました。
十五歳のミヒャエル・ベルクが、学校帰りにバーンホーフ通りで具合の悪くなった時に、助けてくれた三十六歳の女性ハンナとの恋におちるところからこの物語ははじまります。ハンナは市電の車掌。彼女の勤務時間に合わせて、二人は毎日数時間を彼女のアパートで過ごす生活がはじまるのですが、ハンナはミヒャエルに愛し合う前に本の「朗読」をさせるのでした。また、ハンナが眠っている間に、黙って置手紙をして買い物に出たミヒャエルに、ハンナはひどく怒ってベルトでミヒャエルの頬を傷付けるシーンなどから、わたくしにはハンナの実像が少しづつ見えてくるのでした。おそらくミヒャエルが気付くよりも先に。。。
そしてハンナはミヒャエルに告げることもなく姿を消しました。その後の再会は法学部のゼミの学生として傍聴席にいるミヒャエルと、四十三歳になった被告人のハンナとして、「法廷」という場所でした。かつてのミヒャエルに出会う前のハンナはベルリンのジーメントで働いた後に、一九三四年秋に親衛隊に入り、収容所の看守だった。これはドイツによるドイツ国民の裁判です。裁判はハンナに不利な方向へと向かうのでした。
ここでハンナが文字の読み書きが出来ないことが明らかになる。アウシュビッツに送られる前に収容される囚人のなかから少女を選び、ハンナはやはり「朗読」をさせていたのでした。それはたった一人の少女を苦役から短期間救える方法でもあったのです。
ハンナに終身刑が下るまで、ミヒャエルは毎日法廷に通いました。その後、ミヒャエルは同じ法学生だったゲルトルードと結婚し、娘ユリアを授かりましたが、ミヒャエルの法学の道は定まりません。ゲルトルードは裁判官となり、結局三人の家族は愛し合いながら、別れることになるのです。
『決断は難しかった。ハンナに対する裁判で法律家たちが演じた役割のどれにも、自分を当てはめることができなかった。告発という行為は、弁護と同じくらいグロテスクな単純化に思えたし、裁くことは単純化の中でそもそも一番グロテスクな行為だった。』
そうしてミヒャエルは法史学教授となる。そして彼はハンナに「朗読テープ」を送り続ける。手紙は書かない。ハンナはそのテープのテキストとなった本を入手して、テープを何度も聴きながら文字を覚えてゆき、ミヒャエルに手紙を書けるようになったのでした。この生真面目なドイツ人法史学者の一貫したハンナへの思い、それに応えるハンナ、「続けること。」「繰り返すこと。」その美しさ。。。
ハンナの恩赦が決まり、身元引受人となったミヒャエルは、その準備に追われ、面会にも行ったのだが、ハンナは出所前日に縊死する。ハンナの残したお金はユダヤ人識字連盟に送られました。
戦争を繰り返す歴史のなかでは、権力者側あるいはそこにいる以外に生きる手立てがなかった人間と、それによって苦しめられた人間、その立場が逆転した時には「裁く者」と「裁かれる者」は逆転するということは繰り返されてきた人間の愚行です。そうした時代に引き裂かれた一つの愛が、生涯をかけて修復に向かうことによって、人間の尊厳と信頼の確かさをくっきりと描き出したドイツ小説でした。
(二〇〇〇年・新潮社刊)
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