Nov 26, 2006

私の上に降る雪は・わが子中原中也を語る 中原フク述・村上護編

06-3-31-KIKI-yuugure

 中原中也の弟で五男の「中原呉郎」についてしばらく書いてきましたが、彼は「海の旅路」のなかで「故郷の中原中也」を書き、また中原家の系譜についても書いています。また四男「中原思郎」は「兄中原中也と祖先たち」と題した著書を出されているようです。これは未読ですが。
 この本は、中也たちの母親である、九十五歳の中原フクの口述を村上護が文章におこしたものです。このお二人の出会いを結んだのは、どうやら呉郎のようです。村上護が「山頭火」について調べていた折に、その友人である呉郎に出会ったことがきっかけとなっているようです。

 母フクの山口弁の語り口が、そのまま文体に再現されていますので、全体がやわらかく独特の世界を作りあげています。しかし、無残なことと言っては過言かもしれませんが、六人の息子達に恵まれながら、九十五歳のフクはその息子たちの死を見送ったという事実です。その息子たちに代わって、母親は我が子を語り尽くそうとしていました。過酷に見えるこの一冊は、すでに母親フクの創りあげた世界だとも言えるでしょう。死者はもう語ることはできない。生き残った者の想像力と記憶に頼ってこの一冊は成ったのです。

 読み終えて、何故か腑に落ちないのです。中原家の生死の順番が狂っているからだろうか?死んだ母親を語る子供はあたりまえですが、死んだ子供を語る母親の切なさは深い。しかし反面では母親の無意識の脚色ということも感じざるをえない。これは「悪意」で言っているのではありません。母親であるわたくしの拭い難い「直感」なのです。

 その一つの例をここで書いて見ましょう。
 フクの夫謙助は、夫としてはエゴイストでしたが、子供の教育には厳格で潔癖でした。ことに長男中也は「神童」とまで噂されましたが、あまりの父の厳格さに抵抗して、ついに「落第生」とまでなり、父親から追放される形で家を出され、別の土地の学校に転校しますが、それは中也にとっては孤独なことではあったでしょうが「開放」でもあったはずです。その中也の成り行きから、中也以下の息子たちは冷酷とも言えるほどの極端な「放任」の姿勢をとり、ここにも謙助の「エゴイズム」が見えてきます。
 その謙助の厳格な躾のなかで、庭の松の木に中也を縛って吊るしたというお話があります。当然母親のフクもそれに加担したことでしょう。夫に逆らえない妻の哀しさもあったかもしれません。これは中也から四男思郎が聞いた話だとされています。思郎が「兄中原中也と祖先たち」を書く時に、「その話はやめて欲しい。」とフクが頼んだのだそうです。しかし思郎は「それでも兄貴がぼくにそう話しておったから。」と答えたそうです。フクは口述のなかではこの事実を否定しています。これが中也独自のアイロニーであったのか、実話であるのかは知るよしもありませんが。。。

 このお話からすぐに思い出したのは桐田真輔さんの詩「11月20日」でした。この詩は四章に分かれていまして、亡くなったお父上への追悼詩です。全編は桐田さんのHPで読めますので、ここでは抜粋のみとさせて頂きます。

  (前略)
  おとうちゃんと呼んでいた子供が
  おとうさんと呼ぶようになったのはいつの頃だったか
  陰で親父と呼ぶようになる前のことではあろうが
  おとうちゃんは食事中についていた頬杖を
  よこからとっぱらったり
  泣きやまない子供を逆さにして
  崖のうえからぶらさげたりもしたが
  おとうさんはもうそんなことに関心はなかった
  (中略)
  精悍なシェパードが大好きだったおとうちゃん
  鋤焼きの味付けに大量の醤油と砂糖を投入したおとうちゃん
  僕は遠い昔に多摩川べりで
  おとうちゃんの大きな影を見失ってから
  幻の父を探し始めたのかもしれない
  死にきることの難しい時代のどこかでいつか
  僕はきっと父をみつける

   〔 November.27.1999 〕

    このわたくしの中で起きてしまった連想をおそるおそる桐田さんにお話しました。彼は「子供心に、父親は絶対にその手を離すことはない、という信頼がはっきりとあった。それさえあればさかさまな異界体験したようなもので、その印象の方が強いから、心の傷としては全く残っていない。」とおっしゃっていました。密かにほっとしました。しかし中也はどうだったのでしょうか?中也には「神童」という詩があります。

  神童

  わが生は、下手な植木師らに
  あまりに夙く、手を入れられた悲しさよ!
  由来わが血の大方は
  頭にのぼり、煮え返り、滾り泡だつ。

  おちつきがなく、あせり心地に、
  つねに外界を索めんとする。
  その行ひは愚かで、
  その考へは分ち難い

  かくてこのあはれなる木は、
  粗硬な樹皮を、空と風とに、
  心はたえず、追惜のおもひに沈み、

  らんだ*にして、とぎれとぎれの仕草をもち、 (*漢字変換ならず。)
  人に向かっては心弱く、諂ひがちに、かくて
  われにもない、愚事のかぎりを仕出かしてしまふ。

   (つみびとの歌 より)

 この詩の背景には、その松の木事件を含めて、幼い日の中也を悩ませた父親の教導が大きな影を落としているように思えてならないのです。その父親から母親のフクが中也をどこまで庇うことが出来たのか?どこまで開放させることができたのかは、フクの口述には表れてこないのでした。

 この本に関しましては、この問題だけに焦点を当てて、書いてみました。偏った感想ですが、中原中也と桐田真輔さんの少年期のちょっとした共通項と、視点の差異が書けたことでよしとしたいと思います。さらにこの本は二十代はじめの桐田さんが入手したであろうと思われる古書をお借りいたしました。これも何かのご縁でしょうか。

 (一九七三年・講談社刊)
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