Aug 09, 2006
ゲド戦記 Ⅰ 影との戦い アーシュラー・K・ル=グウィン
「ゲド戦記」がアニメ化されて、すでに上映されている。これについていろいろな批判を目にするようになりましたので、気になって原作を改めて読むことにしてみました。これは子供を含めた読者を対象に書かれたファンタジーであり、「指輪物語」、「ナル二ア国物語」と共に三大ファンタジーと言われているらしい。
読みながらどうしても、映画「ハリー・ポッターと賢者の石」と重なってしまうのは、未来の魔法使いの子供たちの心の成長の初期段階を描くという点に共通点があったからかもしれません。しかしあの映画もこの本も、実はこわくてこわくて仕方がなかったと告白しておきます。何故そんなにこわいのか?それはきっとファンタジーだからでしょう。わたくしは霧のような不安に追いかけらながら読んでいるのでした。その上眠れば、またこわい夢ばかりみるというわたくしの単純さに、ほとほとあきれ果てました。時としてファンタジーとは現実よりもこわい世界なのではないだろうか?それでも読んじゃったけど(^^)。。。
舞台となるのは海に点在する「アースシー」という架空の多島界世界である。ハイタカ(後にゲド。)は少年期に伯母からわずかな魔法の力を授かり、それによって彼の住む島が他島からの襲撃から島民を守ったことから、魔法使いとしての旅と学びと冒険の物語は始まる。若さと傲慢さから、魔法使いとして禁じられている、自らの力を超えた魔法を使うことになって、心身を痛め、「影」に追われる恐怖の日々を迎えることとなる。海の旅が多いので不安はさらに深い。その課程でやがてゲドは気付く。
『影から逃げるのをやめて、逆に影を追い始めた時、相手に対するおれのそういう気構えの変化が当の相手に姿形を与えたんだと思う。もっともそれからというもの、こちらの力も奪われなくなったがな。』
人間が心にある「影」を迎えうつものは「光」。その双方を心にいだくことによって、ようやく「賢人」となれるという教訓なのであろう。たやすいことではないのだが。。。さてこれは五巻あるのだが、映画はそれをどこまで原作との折り合いをつけたのだろうか?という興味はおおいにある。この物語はアニメ映画監督ならば、制作意欲をかき立てさせられる魅力を充分にもっていると思う。さて、五巻まで読むとは宣言いたしませぬ(^^)。。。
(一九七六年第一刷・一九八七年第十六刷・清水真砂子訳・岩波書店)
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