May 09, 2006
人形と情念 増渕宗一
「人形を愛する」ということは、ひとが老いて醜くなってゆくこと、あるいは日常のなかで、次第に汚れてゆき、あるいは撓んでゆくものからの回避ではないのか?それは時間を止めることではないのか?という思いがわたくしのなかから抜けてゆかない。
もう一つ思い浮かべることは、俳人「小西来山・1654年(承応3年)大阪産まれ。」が1708年(宝永5年)に書いた俳文「女人形記」の下記の一文です。これは一種のエゴイズムではないのか?
『(前略)ものいはず笑はぬかはりには、腹立ず悋気せず、蚤蚊の痛を覚ねば、いつまでもいつまでも居住居を崩さず。留守に待らんとの心づかひなく、酒を呑ぬは心うけれど、さもしげに物喰ぬてよし。白きものぬらねばはげる事なし。四時おなじ衣装なれども、寒暑をしらねば、此方気のはる事更になし。(中略)愛のあまりに腹の上に置時は、呼吸にしたがいてうなずくうなずく、細目してうなずく。』
(一)
『人形は、人間の愛と憎しみのための試金石である。』
さてしかし、この本はこのわたくしのそのような問いかけには応えて下さらなかったようだ。一章がこの本の表題となっているのだが、ここに頻出する「情念」という言葉はあまりにも重い。。「愛」「嫉妬」「呪い」「憎悪」「孤独」の身代わりとしての人形。あるいは「災い」を背負わされるために作られ、すぐに流される人形たちだった。。。
また人形は「ヒトカタ」あるいは「カタシロ」と言われ、「ニンギョウ」と訓まれたのは1477年の「おゆとのの上の日記」がはじめとされているらしいが、この訓まれ方の変遷はきっと人間と人形との関わりの変遷でもあるのだろう。
(二)
『存在者から神性を抽象すれば、それは彫刻の形式と結びつき、情念を抽象すればそれは人形の形式と結びつくといってもよいのである。』
ここでは「彫像」が中心となっているようだが、古代の仏像や神像、ロダン、ピカソ、盲人などの作品、高村光太郎、和辻哲郎の彫刻と人形(この想定の差異も大きいが。。。)論、さらに「こけし」「姉さま人形」など多岐に渡るために、ややとりとめない人形美学論となっている。
(三)
『人形の衣装は、(中略)もっとも純粋な偽装の祝祭である。』
『人間と衣装との結びつきは始原的なものである。』
『人形はエロス(恋愛)にかかわる場合、衣装なき裸身と結びつくことが多い。』
ここでは「衣装」のお話になるのですが、ファッションショーとモデル、スタイル画、お化け、宗教画における衣装、徒手体操、フィギア・スケート、トランポリン、サーカス、果ては裸のキューピー、動物のぬいぐるみまで及び、とりとめのなさは果てしない。筆者の頭のなかではおそらくどこかへ着地するまでのあてどなく拡散してゆく思索の道筋なのだろう。読者としてついてゆくのは大変困難なことだ。
(四)
『人は、人形に人間の中の人間を求め、ロボットに人間の機能面での代替物を求めているのである。』
ここでは、ロボット、ピノキオ、ビュグマリオン伝説、からくり人形、おさな児のおしゃぶり、などなど、さらに話題は拡散してゆく。このなかの「ビュグマリオン伝説」には、わたしなりの異見を差し出しておきたい。美しい象牙の女性像に恋をした男は、神にその像を生きた女性に変える願いをする。願いは叶えられて、像はぬくもりを持つ女性の肉体となり、その男の子供を産む。永い歴史のなかで処女性を失った女性は「穢れ」とされてきた。今の時代でも「人形愛」の世界ではこの「穢れ」は排除されているのではないかと思うが、筆者は子供の誕生を幸福な愛の結果としている。これはおおきな矛盾ではないか?
(五)
『人は、みずからの住む家をたてると同時に、神の家をたて、人形の家をたてる。』
なるほどね。ここでは神殿にまつわるお話、ドールハウスの歴史、雛壇の歴史などに触れている。「人形の家」と聞くと、わたくしは「ノラ」に反応してしまうので困った。「人形の家」は人間生活の動かぬ縮図であり、それゆえの愛らしさなのだろう。
(六)
『人形も、愛玩動物も、共に、人間の熱愛憎悪の相関者である。
愛玩動物は、人形と同様、人間の伴侶であり、人間と愛憎を共にし、また寝食を共にしている。しかし愛玩動物には、いつか死がやってくる。つまり、愛玩動物には生物学的な生死があり、死を契機に、愛玩動物は人間の同伴者たりえず、ある他のものに転落してゆく。これに対して人形は、人間の同伴者として、つねにあらたである。』
ここでこの本からの引用はおわり。はじめの章と最後の章で、どうやらこの筆者である「増渕宗一」の論点は呼応しているようであった。中間部のほとんどはここに辿り着くための「拡散」だったのだろう。
「人形論」からはずれますが、この筆者の文章には「、」が多いなぁ。それから漢字で書いてもいいような言葉を平仮名で書くというところも何度かあって、奇妙に気にかかったなぁ。
では最後に、わたくし自身の人形との関わりの歴史を考えてみよう。病弱で学校へ通うことすら苦痛であった少女期の遊びのほとんどは「人形遊び」だった。布の端切れで人形の衣服を作り、きれいなお菓子箱などを集めて、それで人形の部屋を作り、大日さまのお祭りの機会には、セルロイドで出来た家具などを買い揃え、旅行に出る大人たちへのお土産のおねだりは必ず「小さな食器」だった。
大人になったわたくしは、見惚れるほどに可愛い(マジである。)女の子を授かった。しかしこの可愛い生き人形はウンチもオシッコもする。オナラまでする。食べ物が気にいらなければ吐きだす。夜泣きが1ヶ月以上も続くなど、この愛らしい泣き人形はほとほと若かったわたくしを困らせた。しかし幼子のもつ愛らしさがこうした困難を乗り越えさせるものだったのだとしか思えない。次には、これまた美しい王子のような男の子(マジである。)を授かった。
その期間にわたくしはおそらく「無意識の子供時代」をもう一度生きたのだろう。言葉のはじまりに立会い、子供の玩具を買うことに同行したり、ままごとの相手をしたり、絵本を見たり、遊園地や海や雪山に行ったり、かくしてこの生き人形はまたたくまに育ち、わたくしの手から離れていったのである。実感として、わたくしに残った感覚は「小さきものだけが持ちえる愛らしさ」の魔法のような力だけだったと思う。
この本のテーマである「人形美学」は未開拓な分野であって、世界に類を見ないものとされている。この本の出版年が一九八二年ですから、その後も引き続きそうであるのかはわたくしには確認できません。
(一九八二年・勁草書房刊)
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