Mar 22, 2006
対詩 詩と生活 小池昌代&四元康祐
わたくしは詩集の感想を書くことをみずからに禁じてきました。それは拙い詩の書き手でしかないわたくしに、必ずはね返ってくるものだと思いますし、元来とても苦手でした。そのわたしくしが「書きたい。」と思ってしまったのです。さて困ったことに。。。
この対詩集について書く前に、この対詩の出発点となっているヴィスワヴァ・シンボルスカの詩「書く歓び・四元康祐訳」を紹介しておきます。この詩の存在は、シンボルスカ・ファンのわたくしとしてはとても大きな歓びでした。そのためにこの拙文を書いているのだとさえ思えます。四元康祐の翻訳の言葉もとてもうつくしいと思いました。
書く歓び ヴィスワヴァ・シンボルスカ(四元康祐訳)
書かれた鹿はなぜ書かれた森を飛び跳ねてゆくのか
その柔らかな鼻先を複写する泉の表面から
書かれた水を飲むためだろうか
なぜ頭をもたげるのだろう なにか聞こえるのか
真実から借りたしなやかな四肢に支えられて
鹿は耳をそばだてる――私の指の下で
しずけさ その一語すらが頁を震わせる
「森」という言葉から生えた
枝をかき分けて
白い頁に跳びかからんと、待ち伏せるのは
ゴロツキの文字どもだ
その文節の爪先のなんと従属なこと
鹿はもう逃げられまい
インクの一滴毎に大勢の狩人たち
細めた目で遠くを見つめ
いつでも傾いたペン先に群がる準備を整え
鹿を取り巻き ゆっくりと銃口を向ける
今起こっていることが本当だと思い込んでいるのだ
白地に黒の、別の法則がここを支配している
私が命ずる限り瞳はきらめき続けるだろう
それを永遠のかけらに砕くことも私の気持次第だ
静止した弾丸を空中に散りばめて
私が口を開かない限りなにひとつ起こらない
葉っぱ一枚が落ちるのにも たたずむ鹿の小さな蹄の下で
草の葉一枚が折れ曲がるのにも私の祝福がいる
私が総ての運命を支配する世界が
存在するということなのか
私が記号で束ねる時間が
私の意のままに存在は不朽と化すのか
書く歓び
とじこめてしまう力
いつか死ぬ一本の手の復讐
この一編の詩(ポーランド語から英訳されたもの。)を翻訳した四元康祐が小池昌代に渡し、その詩を読んだ後から小池昌代の一編目の詩「森を横切って」は始まる。この一編目では小池昌代は「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」を超えることはできない。この詩の全体像に言葉は届いていない。ここから交わされはじめる二人の対詩は手紙のように長く、シンボルスカの詩に寄り添っているわけではないようだ。ただタイトルの示した「書く歓び」は二人のなかに続いているようだ。また「対詩」を書く時には必ず一人の読み手が待っているという至福もあるのではないだろうか。
しかしシンボルスカはいつでも多くの読み手に向って詩を書き、言葉に変換することは不可能とさえ思えることに、やわらかな、そして強い言葉を与えて「詩の言葉の力」を信じた稀有な詩人だと思います。ポーランドという風土はそうした言葉を育てるところでもあるのかもしれません。
さて、詩集の中間部に置かれた小池昌代の「動く境界」と四元康祐の「ハリネズミ」の二編がこの対詩集「詩と生活」というタイトルの意味にようやく到達していて、「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」の一編の詩から共に自立した(あるいは離れてしまった。)かに見えます。さらに生活者としての男女の詩人の、それぞれの個性と差異、幼い者へのいのちの伝言の方法が浮き彫りとなってくる。その二編を並べてみましょう。
毛布をかけると 子供ははぐ
どんな寒い夜も
かけると はぎ かけなおせば はぐ
それでそこには
湧き水のような
やわらかな むきめ があるのだとわかる
世界は むかしから きりもなく
そうして 内側から むかれ続けてきた
(後略) (小池昌代・うごく境界)
(前略)
黙ってハリネズミを葉陰に置こうとすると
娘は同じことをなんども叫びながら私の背を拳で叩いた
こいつはいま、独りで一所懸命死のうとしているんだから、その
邪魔をするな、そう云ったのが自分ではない父の
そのまた見知らぬ父のように聞こえた
(後略) (四元康祐・ハリネズミ)
眠っている子供が繰り返し毛布をはぐ。子供の体内からは絶えず「湧き水のようなむきめ」が生れるからだという。これは子供のいのちが産まれた時からいだいている、絶えることのない成長への驚きであり、汗ばむいのちへの全肯定だと思えるのだ。これが生活者あるいは母としての詩人の視線だ。
しかし、父親であり、生活者である四元康祐の詩人の目はすでに娘に「死」を伝えようとしているかのようだ。庭の隅でみつけた瀕死のハリネズミを娘はなんとか助けたいと願うのに、「独りで一所懸命死のうとしているんだから」と父親は言う。その夜は冷たい雨が降って、翌日にはハリネズミは死んで、庭に穴を掘り埋葬することになったが、娘はその埋葬の瞬間にも「動いた。」と言うのだが、その後で娘はようやく「いのち」の断念をするのだった。
また四元康祐の詩「築地」では、生活者、父として、詩人としてこのようにも書いている。
命を殺めたり育んだりして金を得たことが私にはついになかった
正業になり得るだろうか たとえなったとしてもそんな詩も
タダで書かれた詩もおなじ詩の名で呼べるのかそれとも似て非――
「邪魔だよ」
「築地」とは、活きた魚が血まみれに解体される場所、育てられ、あるいは捕獲、採取されたさまざまな山海のいのちが売り買いされる場所、仮説も虚構もない場所をさまよいながら、一人の詩人はこんなつぶやきももらすのだった。さまよう詩人は「築地」で忙しく立ち働く男にふいに「邪魔だよ」と言われる。
詩は大切なものだ。しかしいのちと引き換えるほどに大切なものではない。詩を思うこともなく生涯をいきる生活者の方がはるかに多い世界で、わたくしたちは何故詩を書くのだろうか?そして詩を書く者が生活者ではなかったこともない。それがこの対詩集全体の底に流れてるテーマでしょう。
【付記】
さらにこれを書いたもう一つの理由は、わたくしの「相聞」や「連詩」への深い興味がこれを書かせているのだと思います。わたくしが一編の詩に読み手として向き合う時、その詩が大変魅力的であればあるほど、わたくしはいつの間にか、その一編に応える書き手となっていて、感想は無意識に排除されているということだったと思います。
ホラ。やっぱり感想は書けなかったではないか。
耳元で誰かが囁いている(^^)。。。
(二〇〇五年・思潮社刊)
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