Jan 10, 2006
愛する大地 ル・クレジオ(豊崎光一訳)
この物語は、太陽が煮えたぎるような夏の庭で、主人公の少年「シャンスラード」が、虫の群を殺すシーンからはじまる。よく見かける子供の風景である。少年の清らかなからだや心には「憎悪」や「殺意」も潜在していて、その双方が生き生きと息づく時間でもあるのだろう。
この連想は奇異かと思われるかもしれない。町田康の小説「告白」に見られる少年期の重大なテーマは「喧嘩に勝つ」ということではなかったろうか?少年(少女も。)は生きてゆく場所を選んで生れてくるわけではない。生まれでたそこを生きてゆくために、少年は誰でも自らをさまざまな形で試さなければならないようだ。それが「虫殺し」であったり「喧嘩」であったり、あるいはまったく対極にある「優しさ」という場合もあるのではないだろうか?
シャンスラードが生きた土地は、海を片側に置く地形であり、民族の坩堝のように雑多な人間世界であり、それゆえに「生」と「死」はいつでも無造作に雑居していた。シャンスラードはその世界を肯定も否定もしない。その雑多な世界のなかにみずからの存在を見ていたようだった。
さらに、シャンスラードが大人になり、父親になり、彼は息子を通して、もう一度その世界を(あるいは宇宙も。)再確認しようとさえしていた。特別な出来事が起きたというわけではないが、世界はいつでもこのようにあるのだと、わたしはふいに気付いたような気がする。
「愛する大地」・・・・・・「愛する」ということは美しいものだけでなく、そのすべてを抱きとめるということではないだろうか?過去においても未来においても、そこにさまざまな生命や物質が存在する限り、いつでもそこは新しく、愛しいのだ。少年時代のように。。。
とりあえず、忘れないようにメモだけを書いておくことにする。
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