Jul 20, 2005
詩人の食卓 高橋睦郎
これは詩人高橋睦郎の七月から(何故七月からなのかはわからない。)六月までの、月一回の献立、それに添えられるお酒、さらに使用された器と、それらにまつわるエッセーという形になっている。食材、料理はうつくしく季節を語っている。またそれに関わった親族や友人とのエピソードなども書かれている。さらに「あとがき」に代えて、民族や宗教による「食物禁忌」に触れているが、高橋氏の知識の豊かさに今更ながら驚かされる。
わたし個人のおおきな興味としては、一月のページに書かれている、高橋氏の祖母の厨についてである。この厨はわたしの理想とする形であった。それは母屋から独立した別棟の、叩き大工が板を打ち付けただけの安普請の小屋にすぎないし、煤だらけの戸棚や竈や流し台があるだけなのだ。わたしはこういう厨がほしいのである。そこで思い切り煙を出しながら、秋刀魚や鯖や鰯を焼いてみたい。大きなステーキを油をジュージュー飛ばしながら焼いてみたい。昨今流行の対面キッチン、オーブン・グリルなどは、わたしにとっては本当はクソ食らえなのである(^^)。
この詩人の「食」と「詩」と「生」とを結びつけるものが何だったのか?それについてのみ記しておこうか。それはどうやら高橋氏の産土と深く繋がっているように思えるのだ。
高橋睦郎は鉄の町八幡に生まれるが、六歳で母親と二人きりの貧しい生活がはじまる。そこは九州の門司であった。海の町である。「海」それはその果てしなさにおいて「詩」と似ているのだった。さらに戦時下の海は時として、瀕死の海の幸を岸辺にどっさりと届けた。これは申し訳ないほどにおいしかったと高橋氏は述懐する。海の幸は、地上の生き物との比較において人間と似ていない。人間の存在との類似性が遠いほど、人間は「食する」という「罪」を遠く感じるものであるらしい。また、母親と二人きりの生活のなかで、高橋少年は炊事も余儀なくされたわけである。これらのさまざまな記憶が「詩人の食卓」となったようである。
(1990年・平凡社刊)
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