Jul 07, 2005
春日井健の「病」と「言葉」と「死」
歌人春日井健、1938年12月20日生まれ。2004年年5月22日、中咽頭癌のため死去、65歳であった。8月、思潮社より「現代詩手帖特集版・春日井健の世界」が発刊された。
太陽が欲しくて父を怒らせし日よりむなしきものばかり恋ふ
愛などと言はず抱きあふ原人を好色と呼ばぬ山河のありき
春日井健22歳の時の第一歌集「未成年」より。繊細と若い野性とが息づいているようだ。1960年という象徴的な時代にデビューしている。
さて、治癒することが困難とされてきた病には「結核」「ハンセン氏病」「癌」あるいは「被爆」また「風土病」や「環境汚染による病気」など、時代によってさまざまにある。これらの病は「不治」「遺伝」「伝染病」などという風説によって絶望的な時代をくぐりぬけた歴史もあり、病原菌の発見、新薬や治療法の開発によってその歴史を塗り替えられたこともある。しかし、病に苦しみ、自己の肉体の「生」と「死」を切り岸でみつめなくてはならないという状況が、人間には必ず訪れるということはいつの時代でも変わることはない。
そのような状況のなかで、「言葉」がどこまでそれを追い詰めることが出来るのか?あるいは現世と異界とを「言葉」がどのように交信できうるのか?「言葉」がどこまで肉体の生死から自立できうるのか?その答えのようなものを、春日井健の後期の歌集「井泉」「朝の水」から受け取ることができたように思う。それを3段階に分けて書いてみよう。
【闘病初期】
エロス――その弟的なる肉感のいつまでも地上にわれをとどめよ
扁桃(アーモンド)ふくらむのどかさしあたり襟巻をして春雪を浴ぶ
朝鳥の啼きてα波天に満つうたの律呂もととのひてこよ
【闘病中期】
井泉に堕ちしは昨夜(よべ)か覚めしのち生肌すこし濡れてゐたりき
太初(はじめ)に言葉ありしといへり伴へる声ありとせば明るかりけむ
濃き闇へ消えたる奔馬ふたたびを日表に出で光蹴立てよ
【闘病後期】
死の場所は聖められしかしろたへの乙女の泉湧きいでにけり
時じくの香菓の実われの咽に生れき黄泉戸喫(よもつへぐい)に齧り捨つべき
のどは暴(あば)ける墓とぞ嚥下できかぬる一句が夜のしじまをふかむ
宇宙食と思はば管より運ばるる飲食(おんじき)もまた愉しからずや
舌の根はもはや渇けりわれは神を知らぬ持たぬと呟きしゆゑ
以上11首を書きながら、思い出すのは「ハンセン病」を生きた歌人明石海人(1902〜1939)のこの短歌である。このときすでに海人はすでに失明している。
いづくにか日の照れるらし暗がりの枕にかよふ管絃のこゑ 明石海人
人間が「病」「死」を見つめなければならなかったとき、その苦痛や不安や絶望感から「言葉」はどこまで透明となれるのか?そのいのちがけの言葉の作業の結果を死後に見つめるという、なんとも哀しい作業をわたしはしているのである。誰のために?誰のためでもない、いつか訪れるわたしの死のために。
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