Jul 05, 2005

贈り物としての言葉

akiko-mado

 「相聞・あいぎこえ」のページを作ってしまってから、その確認作業のように「すらすら読める伊勢物語(高橋睦郎著 二〇〇四年・講談社刊)」と「贈答のうた(竹西寛子著 二〇〇四年・講談社刊)」を並列するように読んだ。
 竹西著「贈答のうた」には、「勅撰和歌集」「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「源氏物語」「伊勢物語」などから抜粋され、紹介されている。竹西寛子の解釈は穏やかですっきりとしていて、深く納得できるものだった。高橋著「すらすら読める伊勢物語」は、高橋睦郎の独自の解釈により、「段」を抜き出し、さらにその「段」の順番を、物語がわかりやすいように組み変えられている。「伊勢物語」から一対の歌を引いてみる。

  老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな

  世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため

 これは、京にのぼった一人息子に宛てて、老いた母宮が寂しさ故に送った歌に対して、その息子が切なく応えて送った歌です。母子関係においても、ましてや男女関係においても、女性はひたすら「待つ」だけの時代でした。愛の関係に避けがたく伴う残酷さを、歌の「雅び」が和らげる働きをしていたように思います。
 また、その時代にあったであろう礼の衣を纏いながらも、自制がひそかに育てる激情というものがあったように思う。他者を得て開かれてゆく心の世界、あるいは相互の働きかけによって広げられる表現領域、贈る歌のもたらすものはとても大きい。わたくしたちにはこのような豊かな文学世界が、もうとっくに用意されていたのだと改めて深く思いました。竹西寛子の序文から、もう一度この言葉を引いておきたい。

  うたはあのようにも詠まれてきた。

  人はあのようにも心を用いて生きてきた。
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