Jul 04, 2005
大人の素敵な嘘
桐田真輔さんからお借りして、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」を読みました。貸してくださる前に桐田さんも再読されたようです。この本は「岩波少年少女文学全集・全三十巻」の十巻目にあたり、刊行年が昭和三五年となっている貴重な古書です。お父上が真輔少年のために買い揃えて下さったことなどを勝手に想像すると、なんだか微笑んでしまう。数箇所紙面が破れていましたが、破れているだけで千切れてはいませんでしたので、物語の欠損はありませんでした。少年がヘンな(^^;)おじさんになるまでの四十数年時間がこの一冊に流れているわけですね。この時間のどこかで少年はお父上の背丈を越えられたのでしょう。これも不思議な物語(^^)。
このシリーズはにまだ「野に出た小人たち」などなどの続編があるのですが、これだけを読み終えた時点で、今メモしておきたいことを書いておきます。このお話を書いたのは「ケイト」であり、ケイトにこのお話をしてくれたのは「メイおばさん」ということになっています。
このお話がいつどんな時に語られたのかといえば、それはメイおばさんがケイトに編み物を教えながら、なのでした。この編み物は鈎針編みで、小さなモチーフをいくつも編んで、それを繋ぎ合わせて大きな毛布にする作業ですから、時間はたっぷりかかります。その時間が同時に二人のお話の時間だったわけです。女性の単純な手仕事の楽しさは、手は忙しくても、空想したり、考えたり、会話したりする時間もあるということです。この時間のなかで、メイおばさんはケイトにたくさんのことを伝承したはずです。編み物と物語のほかにも。これはメイおばさんの素敵な本当と嘘のお話と、ケイトの想像力が産んだ物語なのかもしれません。
大人は時として幼い子供に楽しい嘘をつきます。それを受け止める子供の感性によって、その嘘は楽しい物語になったり、哀しく残酷な物語になったりするのです。ちなみにわたしは「拾われた子供」でした。これは父の楽しい嘘でした。
広い草原にたった一本の樹がたっていた。(これはおそらく、今の内モンゴル自治区だろうと想像しています。)お父さんが馬に乗ってそこを通りかかると、枝に小さな小さな女の子が腰掛けていた。あんまり可愛かったので、馬に乗せて連れて帰った、というのです。二人の姉たちは母から産まれたはずなのに、年子の姉たちから三年遅れて産まれたわたしだけが「拾われた子供」だったのです。この父の嘘をわたしが一度も哀しいと思わなかったのも不思議でした。わたしは広い草原や、馬に乗って走る小さなわたしや、草原のかわいた風まで想像して楽しんでいました。時には友達にまで話していたのです。その感覚は今でも色褪せることがないのです。そしてそれを語ってもらった時の父の胡坐居の上の安定した座り心地とか、わたしの頬にしてくれたキスなども。
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