May 29, 2005
花は眠るのだろうか?
半月ほど前に、ふいに気付いたことがある。それが心のなかを占領し、支配しているようで、眠りが浅く短い。常用の薬の効力が半減した。薬の量を増量させずに、なんとか乗り切りたいと思う。
それでも、昨日の午後は長時間の映画「エレニの旅」を疲れも感じずに観ることができた。感想がまとめられるかどうかわからないが、深い記憶として残り続けるであろう映画です。音楽が素晴らしく、帰りには迷わずCDを買ってきてしまいました。
May 27, 2005
May 19, 2005
井の頭公園
昨日、初めて(あは。)デジカメを持って、井の頭公園に行ってきました。何枚も撮りましたが「傑作??」はこの3枚かしら?ここの樹木はどうして水辺に身投げするように伸びてゆくのでしょう?不思議です。この水辺を歩いていると、空はほとんど繁る樹木の葉におおわれていますので、途中で雨が降り出したことにも、少し遅れて気づきました。
公園そばの焼き鳥屋さん(お店の名前忘れました。)で、同行者と雨宿り。少しビールを飲んでから、雨上がりの公園をふたたび散歩。池を一巡りするうちに、空の雲が引いていってまぶしい夕陽が見られました。その後はほろ酔い。。。
May 13, 2005
カスバの女
今日の清水哲男さんの「増殖する俳句歳時記」の一行コメントは『日本人拘束。外人部隊と聞いて,「カスバの女」を思い出したのは不謹慎でしょうか。』と書かれていました。
「カスバの女」
涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴりこの頬 濡らしただけさ
ここは地の果て アルジェリヤ
どうせカスバの 夜に咲く
酒場の女の うす情け
唄ってあげましょ 女(わたし)でよけりゃ
セイヌのたそがれ 瞼の都
花はマロニエ シャンゼリゼ
赤い風車の 踊り子の
今更かえらぬ 身の上を
実はこのわたしも、先日有楽町駅で友人と待ち合わせて「有楽町であいましょう~♪」を口ずさみ、銀座の画廊への途中にある、マロニエの並木道を歩きながら、友人とともにふと口ずさんだ歌がこの二番でした。運よくマロニエの花が咲いていました。
貴方も女(わたし)も 買われた命
恋してみたとて 一夜の火花
明日はチュニスか モロッコか
泣いて手をふる うしろ影
外人部隊の 白い服
哲男さんはこの三番を思い出されたのでしょうか?
歌というものはとても不思議ですね。たとえばおバカなことばかり繰り返していると「どこまで続くぬかるみぞ~」と軍歌などを歌いだす御仁もいます。ううう~ん。不謹慎か???
写真と本文は無関係です(^^;)。
May 10, 2005
金子みすゞ
DVDで観た映画「みすゞ」について書きましたが、この映画に対しては、さまざまなわたし個人の思い出が浮上してしまって、ちょっと気持の整理がつかない。まずわたしの手元にある「金子みすゞ童謡集」は、死んだ姉が入院の折に姉の大学時代からの友人のお見舞いとして頂いた本なのです。姉は本を購入したり、頂いたりすると、その日付を書籍の最終ページにメモする習慣がありました。「1995、9、15、T・Hさんよりいただく。D医大病院にて。」と記してあります。
また。金子みすゞの自死の方法は、実はわたしの祖母の自死の方法と同じでした。医師の処方する薬を支持通りに服用せずに、半分を残してためる方法です。薬というものは医師の支持通りに服用すれば治療薬になりますが、服用量が基準を超えれば「死」を招くものがある。その薬の種類について詳しく書くことは避けたい。異なる点は、みすゞは若くして亡くなったけれど、祖母はほぼ天寿を全うしました。これ以上の長患いによって子供に迷惑をかけたくないという、祖母の最後の矜持が自死だったのです。祖母はリューマチと糖尿病を患っておりました。
いささかの悔はあれども一すじに歩みつかれし母をゆるせよ 千代
また。みすゞが生まれた仙崎という漁港町、向かい側にある青海島、みすゞの母の再婚先であり、その後にみすゞが結婚生活を送ることになった下関などの土地は、わたしがかつて何度も訪れた土地であったこと、映画のなかで、みすゞが雨の降る神社の軒下で友人と語った場所は、おそらく赤間神宮であろうと思われます。つまりわたしは、それらの場所をみすゞに縁のあるところだと知らずにかつて何度も歩いていたのです。