令和5年、このまだら模様の年

令和5年、このまだら模様の年

冨澤守治

2023年、令和5年、この年はもうまったくの闇夜
ある意味、苦痛の時代。聴く話はすべてがすべてそうだ
人々が苦痛にさらされている

これほどまでに
寒き、冷たき長い旅、それに喩えてみよう
かつての言葉


ーー行くひとと立ち去るひとのことを旅人という
  うずもれさせるひと
  ふさぎこませるひと、それらのひとたちにとって
  相手を「旅人」として捨て去るか

  ただ実のところ、旅人は行き着くところがあり、またどこかから来たものなのだ
  われわれはここにいる。そしてずっと以前からここにいるのだーー
  (うろこアンソロジー 2015 年)


旅人とは「見知らぬ人たち」であり、世の人々は「捨て去る」
それは帰るところがあるのであれば、たとえばいかなる良家の家長であっても
見かける旅人をとくに庇護する義務を負うてはいない、それが日常

しかし実のところ、そこでは
「われわれ」とは、誰もが実は

「帰るところがない旅人」である
そして見知らぬ苦痛の野原を旅するものでもある

ーいかなる保障もこの世にはないー
 それが等しくこのまだら模様の夜に住む人々の真相なのだ

この旅は日常であって、日常ではない
毎日毎日繰り返す日々の営みは退屈に見えて
この旅の日常は常に非常事態であり、時を過ごすは苦しみである

私は問うてみる、この私もそのひとりである人類に
お前は庇護する者を持たないか?
私たちの隣人愛はそれほども強くなく、豊かでもないから
どうしようもないのか?

他人を距離を置いて見れば、たいていいつでも
自分の日常とは関わりがない

そのひと、そのひとがどれほど悲惨な運命と苦痛を感じていてもである

起こる犯罪と災害、戦争の模様、真相を見よ
そして詩人は言葉の無力さを知るのだ。言葉をも、失いそうになりながら

いかなる-(ありうる)-義務がそこにあるのだろうか?


(同年、年末、冬)