珪化木的な、
海埜今日子
たとえば、ニスを塗った木の箱のような、ガラス瓶のような、つるつるとしたもの。かたさが、ひんやりと、ときに、にがくて、そんな、ちいさな入れ物を、ずっと持ち運んできたのだと、彼はおだやかな顔で、影をみつめながら、だれに、そのことをいったのか。
珪化木という化石。木の切り株みたい、年輪がつるつる、全体は二酸化珪素化している。水晶や石英の親戚、炭になりそこなった木、と(いいたくないのだが)呼ばれることも。石炭採掘の際、たいていそのすぐ近くにいる、かたい珪化木は邪魔になるそうだ。
入れ物の中身を、炭色の、夜のほとりで、ひろげてみるよ。かなしみのように、あたたかなものが、ともって、そこだけすこし、明るくなる。なつかしいような痛みが、暗さのなかで、またたいた。おおむねのかたまり。結晶化し、だんだん、判別がつかなくなる。
たいせつなものたちを、しまっておいたはずなのだが。それはもはや、持ち主から、なかば、はなれている、といっていいだろう。しらない女が、永遠にいなくなる。しっていた男が、余白のなかで、伝言をもたらす。そのメモ書きも、中身の一部だ、ったはず。
入れ物だったか、かたまりを、昼の、正午のひざしの奥で、さらしてみる。そうすることが必要だったから、彼の遺言、として、だったのだろうか。草たちのささやきが、記憶となる。たとえばそんな色が、ぬれて、影にしんそこ、傷をつぶやくので、またしまった。
二酸化珪素が、結晶化しないとガラス、結晶化し、無色透明だと、水晶と呼ばれる宝石になる。植物であり、石である、珪化木は、結晶化するとき、植物の記憶、そこに凝縮しているので、多色不透明なのだと思う。キメラ、長い年月が、きらめいている。
箱のような、ガラスのような、ちいさなかたまりは、しずんでいるの。水面に、雲や木々が映るとき、反映が、橋げたでゆらめくのに出会ったとき、空の高さのなか、ヒバリの、あのガラス質の声、目撃したとき、それは、持っていたよ、手元に感じられるのだと、
だれが、そのことをいったのか。多色不透明な、彼であり、あなたであり、つるつる、思いたちが、にがい、きしみ、とりこむこともあった。けれども、おおむね、木で、ガラスで、ひんやりと、あたたかい。わたしが持っている珪化木は、幹部分がざらざらしている。
(初出『詩素』6号)