水が走っている
水島英己
棘が人生の小川をぎっしりと流れている、というのは吉増剛造の
詩のタイトル
それを読んで私は
会ったこともないミホさんの
甲高いが気にはさわらないその声と普段着のような喪服姿を
たぶん何かを通して聞いたり見たりしたそれを
心の底に立たせていた
「死の棘」のミューズの逝去を悼む
レクイエム、それが吉増の詩のテーマの一つだが……
なにが流れているのか、あるいはなにを流すのか
小岩や国府台の病院や市川の流れ
加計呂麻の海のきらめき
崩れかかった建仁寺垣に囲まれて「家庭の事情」が
始まる、始まる、まるで
「初めに、ことばがあった」かのように「疑惑」があった、そこから
ミホと敏雄が熱中して編みあげた
かけがえのない罪の織物が流れている、流された
今になっても
そのひそやかなかげりの孕む熱
いつまでも覚めない悪夢の檻の
まぼろしが棘のようにぎっしりと流れている
人生とは呼べない
なにかすっかり変わってしまった「こと」の川でも
そこを流れて、そこから始まる
「死の棘」もある
そして、その棘を
ぎっしりと流れているそれを
制圧しない、浄化しない、どこまでも熱中して編みあげてゆく
私たちは
(神ではない、神ではない)
最後のわたくし小説家たちであった、いやあるべきだ
「ムンダネ、ヤ、マカン、チュ、ドゥ、バカ」(物の種を蒔かない人はバカだ)と
ミホさんは伸三さんに教えたという
すべての種を蒔き
その棘を心の底に深く育てよ
「だがすべては変わった。あの駿馬を乗りこなす者はいない。」
イェイツの嘆きも
ムンダネとして心の底に植えつけるのだ
そのうえを水が走っている