ふくやま慕情・月ものがたり

ふくやま慕情・月ものがたり

一瀉千里

     Ⅰ

街へと向かう夕暮れ
行かなくちゃ 必須の用事で
信号が変わると すばやく右折して 
一気に坂をかけ上り 住宅街を抜ける


いつもの 坂道
車や自転車や 犬を連れた人が通る夕暮れ
その坂は やっぱり空へと続いている
並ぶ玄関の 扉の内側では
ピンク色のセーターを着た若いミセスが
エプロンをして 夕餉の支度をしているのだろう


空を突っ切る直前で 左折
螺旋状の坂を 今度は勢いよく下る
夕闇は すっかり迫って
テールランプの 赤い列が鮮やかに蛇行する山の裾
つきあたった広幅のガードレールを境界線に
芦田川の中 丸く大きな月が泳いでいる
空には 本物の満月
満月がふたつ
神島橋は 家路に向かう車で大渋滞
私は 反対方向の街へと 右折する


行かなくちゃ 急いで
今日中に封書を出しに
私の想いをつめこんだ詩が 封書の中で発酵しないうちに
東京へ届けるのよ 今日の消印で



天満屋の八階から 遥か下を見おろすと
たくさんのタクシーが 箱庭の中で 
ミニチュアのおもちゃのように動いている 
その昔 あそこらへんには 
ふたつの歩道を結んだ長い歩道橋があって
私の小さな物語の 青春があった
時代とともに消え去った歩道橋が
ゆらゆらと浮かび上がってくる私の中の夕闇
東京からの新幹線が 福山駅へと滑り込む
母は言ったっけ
落ち込んでいた私に 
(ほら 新幹線が通ったから 
きっと いいことがあるよ
ジンクスのように ささやいた遥かな日々
空には満月
福山城の まっすぐ その上あたり

    Ⅲ

サファに寄るのは たいてい帰り道で
瀬戸の町から見る満月は薄黄色
取り囲む山々は低い
そこでの空は 昼も夜も突き抜けるような無窮だった
こんなにも 空を見上げて
つかの間 満月を目の中に浮かべる
ときにはデジカメで 満月を捕えながら
どこまでも行っても ついて来る夜は
連れ帰ってほしいのだろうと
満月を抱えて自宅に持ち帰り 湯船の中で磨いてみる
空には星が やけに光って
みんなが寝てる間に こっそりと
誰にもみつからないように 湯上りの満月を空に戻す



薔薇の夕暮れには 薔薇公園に
岡山から車を飛ばして佳子がやってくる
  (薔薇はね 午前五時が いちばん綺麗なのよ
東の空には いつの間にかセロファンのような薄い月
西の空には 吸い込まれるように 真っ赤な夕陽
月と太陽が共存する ミラクルな時間帯
(そのどちらも欲しがってはだめなの?
佳子と一緒に 仄やかな香りに包まれて
私は いつしか 天空になる
右手には月 左手には・・・。