エイハブの左足・ランボーの右足
有働薫
メルヴィルとランボーは同じ年に生涯を終えている。
小説『白鯨』のなかで、作者メルヴィルは片脚の捕鯨船船長エイハブに、次のように語らせている。「今ここに眼にはっきり見える脚は一つきりだが、魂には二つあるのじゃ。おぬしがドキドキと生命を感じとる所、きっかりそこにわしも生命を感じとるのじゃ(*)。」
魂の感じる足はいつもちゃんと揃っているのだ。
小説の中で、エイハブは左脚を抹香鯨に食いちぎられたからだを、不便ではあれ、この苦痛をもってあの鯨と再び闘いたいとすさまじい熱情を燃やす。
ランボーは詩を捨てて実業で人生を作り上げようと北アフリカの砂漠と格闘したあげく、右脚を切断せざるをえなかった。すさまじいのは、北フランスの故郷の農家からたちまち憑かれたように南へ向ったことだ。幻影の足で歩いて。
北アフリカへの入口であるマルセイユで死ぬ。魂は自分が人生をかけ、自分をまさに滅ぼさんとしている砂漠を歩いているのだ。
小説『白鯨』である程度の名声を得ながら、人生の後半に十九年間ニューヨークで通勤生活を送らざるをえなかったメルヴィルはしかし七十二歳で命尽きるまで出版の見込みのない小説を書き続けた。
メルヴィルは一八九一年九月二十八日ニューヨークで、ランボーも同じ年の十一月十日マルセイユで三十七歳の命を閉じた。
ふたりのあいだには年齢としてはちょうど父と子ほどの開きがある。
(*原光訳)