磔刑ののち
有働薫
マリアの家
「エフェソス都市遺跡のマグネシア門からほぼ4キロメートル、標高358mの山の上、交通手段の極めて不便なところに「マリアの家」がある。エフェソスの住民に代々語り継がれてきた伝説によれば、聖ヨハネはAD37年から45年の間にマリアとともに小アジアへ移り住んだ。山の中の礼拝堂「パナヤカパウル」への道を整備するため地元信徒に重い税の負担が課せられたが、「聖母マリアの最期の地」という先祖からの話を彼らはかたくなに信じた。」
山中のひんやりした空気の中に静かな優しさ
この世を離れた不思議な明るさがただよう
鳥のさえずりが聞こえ
セルチュクの野の清々しい広がりが見渡せる
静かだが寂しくはない
出がけに東京のわが家の小庭に咲いていたのと
そっくりな小菊が同じ黄色に慎ましく咲いている
慎ましいがどこか華やか
優しさに遠い近いはないと思う
マリアの静かさ
四角い石を積み上げた小さな建物のアーチをくぐると
内部は少し暖かく
正面に小さな祭壇がある
小ローソクを買って火を灯し
異教徒ながら瞑目すると
背後から優しい歌がきこえる
いつのまにか青灰色の服の尼僧が
ひとり微笑んでいる
最近この付近に山火事が起こり
幾重にも連なる山々が焼けた
マリアの家のすぐ下の林で
不思議に火が止まったのだそうだ
下山のバスの窓から 焼けた山肌に
キャンプの人びとがテントを張り
焼け残りの木々を切り出して積み上げ
斜面を均して小さな松の苗を
一列に植えそろえているのが見える
否定されてはまたよみがえる
伝説のように
伝道者聖ヨハネ教会
「キリストの最愛の弟子で、磔のときただひとり傍に居合わせたヨハネは、キリストより母マリアの保護を託された。そして彼は後にキリスト教の普及に努め、ドミティアヌス帝(AD81〜96)の時代に、迫害によって弾圧された人びとを不満と抑圧から奮起させる目的で「黙示録(アポカリプセ)」を著した。この書は新約聖書の最終巻として編纂されている。AD100年ごろ、パトモス島での流刑から戻ったヨハネはエフェソスに移り住んだ。彼の死から数年後、彼の名がつけられた最初の教会が墓地の上に建てられた。」
ヨハネの書いた「黙示録」は幻視の書である
彼は流刑地パトモス島で
師イエス・キリストの姿を見た
キリストは炎の燃えるような目をし
足は真鍮のように光り輝いていた
ローマから遠く海を隔てた
このアジアの荒野アナトリアに
信仰の使いを出すようにと愛弟子に命じた
わたしは死んだが生きている
あなたは生きているとされるがじつは死んでいる
キリストの手には封印された巻物があった
生贄として殺された子羊によって
封印が解かれた
第7の封印が開かれると
ラッパが鳴り響いて 大地震が起り
バビロンの町は崩壊した
生き残ったものは僅かである
エルサレムに新しい都が現われると
諸国の民は聖なる都エルサレムを目指した
キリストは予言する
「私はすぐに来る」と
「イエス・キリストが十字架に架けられた後、弟子の一人であるヨハネはキリストの母マリアとともにエフェソスに来た。そして彼はこの地でキリスト教の布教活動を続けた。人びとは彼の死後、アヤスルクの丘の上に彼の墓をたて、その上に大理石を使って教会を建てた。」
大理石は島国のわれわれが思うほど、この地では貴重なものでもない
ここでは手近かな地産地消であることがわかる
それほどぐるり360度 どの山も冷え冷えとした大理石のはげ山である
レバノン杉や木曾谷の檜ならば
宝石以上に貴重だろうが
初期のキリスト教徒は着たきりの貧しい民ばかりである
人々は自力で冷たく固い石を切り出し
熱い信仰心を燃やすことに生甲斐を求めたのだろう
カッパドキア
「アナトリア高原の中心にあるギョレメの谷は、かつてこの地方にあった王国の名にちなんで「カッパドキア(白い馬)」と呼ばれ、4世紀ごろからキリスト教徒が住み始め、岩の中に数多くの洞窟教会を造って信仰を守り続けた。「エルマル・キルセ(りんごの教会)」「ユランル・キルセ(蛇の教会)」「カラニンク・キルセ(暗闇の教会)」など、11世紀に建てられた教会は保存状態がよく、内部の装飾は見事で、それぞれ特色のある壁画が描かれている。ゼルベには古くからキリスト教の修道士たちが住み、「ウズムレ・キルセ(ぶどうの教会)」など初期キリスト教時代の教会が見られる。カイマクルにはイスラム教徒の迫害から逃れるためキリスト教徒が住んだ地下8階の巨大な地下都市が、1964年に発見された。他に、ユルギュップ、オルタヒサール、ウチヒサール、ウフラーラ大渓谷などにも、キリスト教徒の洞窟住居や教会の跡が多数見られる。」
予言を信じる者たちは
北のカッパドキアの荒野に散った
人住まぬ奇岩の地下にもぐり
隠れ住み
ひそかに信仰と命をつないだ
彼らの描いたフレスコ画は2000年を生きながらえ
依然としてわれわれの眼に
ひたむきな信仰を触れてくる
さらに東に
東の果ての
信仰のない都市に住む
われわれの渇いたこころに
(括弧で括った文章は、REHBER版「エフェソス」および、阪急交通公社ガイドブックによる。)