第五回目 「温ビール」

                   ----倉田良成


 むかし腺病質だが飲むのは好きという学校の先輩がいて、何人かで住んでいるその下宿ではケース単位で取っているビールを切らさずにいたが、先輩が腹によくないと言いながら出すビールは夏でも冷蔵庫に入れていないものだった。最初はすぐに下痢をする奴と一緒にされてたまるもんかとしぶしぶ飲んでいたのが、下宿に行くと必ず律儀に振る舞ってくれるぬるビールがいつしかやみつきとなった。考えてみれば、ビールは絶対に冷やさねばならないという法もないもので、エジプトやメソポタミアの頃からあるビールに冷蔵施設が付随していたとも思われない。ディケンズの「デイビッド・カパフィールド」に出てくる不良青年がデイビッドに執拗に奢らせようとするエールはとても冷やしているとは思えないし、それどころかジョイスの「ダブリナーズ」中の一篇「アイビー・デー」では、暖炉のそばでスタウトの栓がお燗したみたいにぽんぽん抜けたりする。かくのごとく温ビールが乙なものというのはひとつの見識といえるが、いつかの京都は南禅寺の一塔頭で、夏に湯豆腐を食うというこっちも馬鹿だったが、夏の京の酷暑のなかで湯豆腐とともに出てきたビールが全くの常温だったというのは、あれは、鄙人の知らない何かの意味でもあるのだろうか。

『解酲子飲食』より。


 テキスト提供とタイトルは、食と酒についてのエッセイ集『解酲子飲食』(開扇堂)の著者の倉田良成さんです。倉田さんのサイトはγページ(灰皿町みっちり七番地)です。(桐)


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