第六十回目 北杜夫の「酒乱の歌」
○調べてみたわけではないが、小説家や劇作家として知られている人で、若い頃に詩を書いていた時期があったという人はけっこう多いと思う。小説家の北杜夫もそういう人だったようで、詩集『うすあおい岩かげ』のあとがきには、中学生の頃に茂吉の短歌を読んで文学に開眼し短歌を書いていたが、3年の頃から限界を感じて光太郎や道造、心平、犀星、朔太郎、拓次などを模した詩を作り出した、と書かれている。大学に入ってから小説を書いていたが、投稿誌に送った詩が入選したのがきっかけでまた詩を書き始めた、という。小説家として名をなして後に、その頃(大学時代)の作品を集めて上梓されたのが『うすあおい岩かげ』(93年刊)という詩集だ。
酒乱の歌
北杜夫
酒は狂気と人が言う。
狂気は生命(いのち)と俺が言う。
まどわしの。
蜜呪と知って飲んだ酒。
凋滅の。
祈祷のごとく吐いた反吐。
灯が揺れる
路が波うつ
まわるまわるよぐるぐるぐる
街が闇なら天は蒼。
無闇に赤い火の星の。
ひそかにめぐる蠍座の。
酒は狂々
眼は爛々
まわるまわるよぐるぐるぐる
天が写ればもの凍つる。
雪を溶かした結晶の。
月のくだける没薬(もつやく)の。
酒は乱々
血は滔々
まわるまわるよぐるぐるぐる
俺の稚さが死ぬる今。
喪心に。
四方は廻転。
悔恨に。
街は玄黙
酒は狂気と人が言う。
狂気は生命(いのち)と俺が言う。
北杜夫詩集『うすあおい岩かげ』〔中央公論社)より
○この詩の末尾には一九四九年四月とあるから、二七年生まれの著者が二十二歳のときの作品。タイトルに「酒乱の歌」とあり、内容にも泥酔したときの自覚症状(^^;が描かれているが、そういう自分の体験を醒めた目でつきはなしてみている感じがでていて、とても酒乱の人のものとは思えない。作者は「酒乱」という言葉に託して、たぶん別のこと(かかえこんだ観念の過剰さや文学的な狂気への傾斜のようなこと)がいいたいのだろう。それにしても、「蜜呪と知って飲んだ酒」という言葉があるから、実際の強烈な泥酔体験が核にあるのが想像できそうだが、そういう体験を調子のいいリズムにのせてどこか童話風におどけた感じで脚色している。酒を浴びるように飲んで狂気にひたることが、生きるそのことである、というふうに言明すること、そういう覇気に作者のいいたいことがかかっているようで、その言明にもちょっと窺いしれない身振りのようなところがある。ちなみに『うすあおい岩かげ』に収録されている詩の多くは立原や中也の色調の濃い一種繊細な叙情詩で、この詩は特別。『幽霊』とか『楡家の人々』といった小説の系譜と、ドクトル・マンボウものの系譜でいえば、後者にあたるのだと思う。
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