第十五回目 中原中也の「冬の長門峡」
冬の長門峡
中原中也
長門峡に、水は流れてありにけり
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがて蜜柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
あゝ! ----そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
中原中也詩集『在りし日の歌』より
『中原中也全集 第一巻』(角川書店刊)参照
○お酒に関する日本の詩歌を集めたアンソロジーというものは、これまでに何種類も出版されていると思う。想像だが、そういう類の本には、この詩は必ずといっていいほど収録されているのではないだろうか。川の流れの見えるがらんとした料亭で、秋の夕暮れ時に独り酒を呑んでいたことがある。そんな情景を思い出して書き留めているのだが、情景はその前後の事情からぽつんときりはなされて、切り取られた映画のシーンのようにひろがっている。「あゝ!」という詠嘆はどこからくるのだろう。なにも説明されていないけれど、このぽつんと置かれたような情景とともに蘇る思いが、深い孤独感や懊悩の記憶であるという感じはしない。水の流れや夕陽の色は、魂や命あるものにたとえられていて、そこには自然と融和している心の息遣いのようなものが感じられる。どこか気持ちが冴えてくるような酩酊気分というのがあって、そういう気分の記憶に寒い日に呑んだ酒という条件がとてもあってもいる(^^)。はるか昔にこの詩に惹かれて、ひとりで長門峡を訪ねたことがある。大きな岩がごろごろしている渓流沿いの道をとぼとぼと歩いた。個人的にはその時の記憶がかすかに蘇る、とても好きな詩だ。
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