第九回目 ポンジュの「葡萄酒」
葡萄酒
フランシス・ポンジュ
コップ一杯の水と葡萄酒との関係は、布製のエプロンと革製のエプロンとの関係に等しい。
もちろん、葡萄酒と皮革とを関係づけているのは、タンニンだ。
しかし、葡萄酒と皮革との間にはその他の様々な、そして底深い類似点が存在している。厩舎や鞣革工場が地下の穴倉とそれ程異なっているわけではない。
人が葡萄酒を引き出してくるのはすべて地下からというわけではないが、それでもとにかく地階から、地下室のような穴倉からである。
それは人間の忍耐の所産、つまり、甘ったるい、濁った、不透明な果肉に対する、染料で着色することもなく刺激も与えず、何ら大きな作用をも及ぼさぬ人間の忍耐の所産なのである。
地中の穴倉や地下室の暗がりや湿気の中へそれを埋葬し漬け込むことによって、私たちは、およそ正反対の性質をもつ液体を、つまり、文字通り爪の上のルビーを、獲得するのだ。
ところで、このことから、素材を適切な場所に置き、適切な接触を保ち......そして、待つ、ということで成立しているこの種の産業(加工業の類)について二、三述べよう。
生物組織の老衰。
葡萄酒と皮革とは、ほとんど同じ年代のものだ。
成熟した(すでにやや盛りを過ぎた)ものたち。
葡萄酒も皮革も、同じ範疇にある。つまり中世のよろいだといえる。
双方ともほとんど同じ流儀で肢体の感覚を奪う。しかも、ゆっくりと。そして同じ原因によって魂を解放する(?)。そこには一種の厚みといったものが必要だ。
アルコールと鋼鉄とはもう一つ別の性質の部類に属する。しかも、共に無色だ。そして、それ程の厚みといったものを必要としない。
腕が、胃の底に冷たい液体を注ぐ。すると直ぐに、そこから何かが立ち上がる。すべての窓を閉め、家の中に夜をつくり出し、そしてランプに灯をともすことを仕事としている召使いのような何かが。
主人を夢想に包みこんでしまう何かが。
最後の扉の音がどこまでもひろがって行く、そして赤葡萄酒の愛好者は、響鳴している家の中を行くように世界を横切って行く、壁は、その歩調に調和して反響し、
彼の吐く息のもとでは、鉄は、ひるがおの蔓のように身をよじり、彼の歩み、彼の身振り、彼の呼吸に、すべてが拍手喝采し、すべてが称賛にどよめき呼応する。
そこに織りなされているものたちの称揚が、彼の肢体をけだるくする。たしかに、蔓性植物の生育はみな似たような酩酊を共有している。
葡萄酒は決して大げさなものではない。しかし、その炎は、街の真中で、無数の肉体の中で踊る。
輝く、というよりむしろ、それは踊るのだ。燃やす、あるいは焼きつくす、というより、それは、踊らせるのだ。
関節がある身体を、多かれ少なかれ、人形芝居の道化師、操り人形、マリオネットに、変えてしまうのだ。
情熱をこめて肢体にしみわたっていく。特に、舌を活気づける。
すべてのものたちと同様に、ここに葡萄酒の秘密がある。だが、それは、守秘されない、という秘密だ。私たちは、葡萄酒にそれをしゃべらせてしまうことができる。つまり、ぶどう酒を愛し、それを飲み、身体の中に留めて置けば十分だ。それは、しゃべりだす。
自信たっぷり、葡萄酒はしゃべる。
それに反して、水は自分の秘密を語るということがない。少なくとも、水の本性をあばき、知ろうとすることは、はるかに困難だ。
阿部弘一訳『フランシス・ポンジュ詩選』(思潮社)より
○思いがけないイメージの対比、その組み合わせにそれらしい意味や断言がつけくわえられて、あやうい綱渡りのような含みのある文章が繋がっていく。ゆっくり葡萄酒を味わうように、味読して楽しめる散文詩。
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