第二回目 旅人の酒ほめ歌。


験(しるし)なき物(もの)を思(も)はずは一坏(ひとつきの)
濁れる酒を飲むべくあるらし
         (巻三-三三七)

いにしへの七(なな)の賢(さか)しき人どもも
欲(ほ)りせしものは酒にしあるらし
         (巻三-三四〇)

賢(さか)しみと物いふよりは酒飲みて
酔泣(ゑひなき)するしまさりたるらし
          (巻三-三四一)

なかなかに人とあらずは酒壺(さかつぼ)に
なりにてしかも酒に染(し)みなむ
          (巻三-三四三)

あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ
人をよく見ば猿にかも似む
          (巻三-三四四)

生者(いけるもの)つひにも死ねるものにしあれば
今ある間(ほど)は楽しくあらな
           (巻三-三四九)


 ○大伴旅人の酒の讃歌十三首(万葉集の巻三-三三八〜五十)のうちから抜きだしてみた。お酒に関する歌としては、この連作はよく知られていると思う。最近でも俵万智さんがエッセイ集『百人一酒』の中で触れられていて、何首かについていい感じの現代語訳をされていたのだが、その本が手元になくて紹介できないのが残念。せんないことをくよくよ考えたり、偉そうなこというより酒飲んでいたほうが気分がいいよ、というのは酒飲みのいいそうなことだが、もういっそのこと酒壺に生まれ変わりたいとか、偉そうな下戸の人を良く見ると猿に似た顔をしてるじゃないか、とまでいうと、これはけっこうあぶない感じもする。旅人は貴族だったけれど、60を越えてから太宰師として筑紫に赴任になり、その地でまもなく妻を亡くしたという。単身赴任の寂しさや私生活の哀しみを酒によってまぎらわし、慰めをえようとしたといわれる。そう思うとこれらの歌はぐっと味わいが深いものになる。(参考・一島英治『万葉集における酒の文化』(裳華房))




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