小海線に乗って

小海線に乗って
       
中村えつこ


 母がまだ存命だったころだから、2016年以前のことになる。コロナ菌はまだ眠っていた。
 そのとき、私は小海線に乗っていて、何という駅だったかな、すこし長い停車時間に、車窓へぼんやり目を遊ばせていた。
 引き込み線の、夏草がひょろりと伸びた線路際を、二人の男性が歩いてこちらへ来る姿に、目が留まった。
 半袖の白い開襟シャツがよく似合う、背筋の伸びた、近頃あまり見かけなくなった清潔そうな二人。年のころは三十代後半か四十代前半くらいか。手に手に四角いカバンを下げ、静かに談笑しながらやって来る。真夏の陽光が、二人の周囲をかげろうのように包んで、何か、映画の一場面をみている気分になった。
 電車の車掌なのだろう。乗務を終えてきたところなのか、これから向かうところなのか。揃いの服に、背格好も同じ、顔まで双子のように似て見える。何よりそのとびっきりの笑顔に魅せられた。
 私の行き先は臼田というところ。避暑先の私の部屋で倒れ、臼田の病院へ救急搬送された母を、毎日見舞うことになってしまった。一大事には違いなかったが、高齢の母を夏の間預かる任務からはしばし解放され、小海線に乗っての通院が、楽しくもあった。
 小さな手帳を買い、表紙に「小海線に乗って」と記し、不安を旅気分に転換している私がいた。
 まずは駅名を書き込む。小諸を出発してから臼田までの、東小諸、次は乙女(ホームにテッチャンたちが4、5人。先頭車両に向かってカメラを構えている)、三岡、美里、仲佐都、佐久平(ここで長野新幹線と繋がり、乗降客が増える)、岩村田(母の隣のベッドの主はここの人だった)、北中込、滑津(サメズと聞こえたがナメズと呼ぶ)、中込、太田部、龍岡城と来て、次はうすだ、うすだ、で私は降車。
 ある日の手帳に、「中込で運転士交代。待ち時間5分。いやぁ5分どころじゃなかった」とある。ああ、件の二人は、きっと中込駅で、「運転士交代」をしたのだ。
 まるで、二人を待ち構えていた太陽が撮ったようなツーショット。近頃あまり見かけない、爽やかなオールド・ファッションに笑顔。何を話していてあのような極上の笑顔が生まれたのだろう。
 いや、笑顔そのものというよりは、あのとき二人の間に醸されていた、絶妙な親密空間。そう、空間と呼びたい、一人では決して作れない、二人だからこそ生まれた「あいだ」のコトに、私の目は釘付けされたのだろう。すごくいい感じ。彼らの手が掴んでいた四角い黒い革カバンも、しっかり目に残っている。中味は何?
 あの夏、佐久のたいらの上空には、怖いほどの積乱雲がつぎつぎ沸いて、帰途、激しい雷雨に小諸で足止めを食らったことがあるのを、思い出した。