八月の凪
 

蒸し暑い日中でも
柳はそよぎ 部屋を風が吹き抜ける
河口堰のたもとの 草原の家
夕方の 一定の時刻になると
風は ピタリと止み
雑草の揺れさえもみえない

玄関を開け放し 窓を放ち
私は台所に立ち 夕餉の支度で
コトコトとキャベツを刻んでいた
ふと 何かの気配を感じて
振り向いた時 暑い背中に戦慄が走る
見たこともない老婆が そこに立っていた

家の中に見知らぬ人が 突然いる恐怖
私は急いで家人の所へいき 助けを求める
家人は すぐそこへいく
「あんた どうしょうるんな
 ここはあんたの家じゃぁなかろうが」
私は家人の後ろに立ち ただ震えるばかり

老婆は 部屋の隅に座り込む
「わたしゃぁ 病院にはいかんのんじゃけ」
老婆はすまして 扇を取り出し
自分自身を煽いでいる
腕をつかんでも
石のように動かない

家人はなおも叫ぶ
「あんた どかんのんなら警察呼ぶで」
私達は 見知らぬ人が
自分たちのテリトリーに侵入してきたことで
ただ そのことで
恐怖と混乱を感じていた

老婆は 警察 という言葉に反応した
すぐに立ち上がって 玄関の方向へと走る
自分の靴がわからない
「あんたの靴は これじゃろうが」
家人はそう言い
老婆は 八月の凪の中 風のように消えた

  老婆の中では いつから
  どこの場所から
  凪 になったのだろう

若い夫婦は ただ あわてて
その時 その場面も
すべてが 凪 だった
それから凪が止んだあと 再び風が吹き始め
83才で亡くなった老婆の話が
どこからともなく 流れてきた



(2005・3・13、
   第29回 ふくやま文学選奨 優秀賞
               選者;橋本福恵 )





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