■Kitami通信 No.7 2007年12月31日 New! 





 この「Kitami通信」は「灰皿町公園1番地」へ引っ越しするのに伴い、blogシステムに移行します。

Haizara-Cho::Kouen 1[Katsushige Hoshino]

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 ■Kitami通信 No.6 3月27日 





 ラクダとヒツジの子宮

 私はヒツジの子宮に小ビンを押し込み隠して、荒野をさまよう牧童になったユメを見ました。
 私は月光に浮かび上がる砂漠でヒツジの群れを追う牧童になっていた。砂丘の向こうの街が黒い影になって炎につつまれている。ヒツジはどれも痩せて腹がへこんでいたが、よく見ると、何頭かのヒツジの腹はふくらんでいる。

     諜報員の、「フセインの居場所確認!」の一報で先制攻撃にうってでたアメリカ。国連や同盟国との一連の緊迫した経過は兵員、物資の配備と世論操作、何より、諜報活動の結果を待つ時間かせぎでしかなかったのかと、むなしい。
 諜報員の一言が、すべてに超越してしまうアメリカの思考停止の体制をどう考えたらよいのか。
 野球だって九回までやる。初回のホームランの一点で、試合が決まってしまうことは少ない。フセイン暗殺をイラクとの戦争の重要ポイントとしたアメリカの戦略に、場当たり性、協調を欠いたワンマン性、自己過信、要するに戦争全体への見通しの浅さを嗅ぎとってしまう。
 アメリカの猛爆だ。フセインは自国の諸宗派、諸民族との協調も出来ず、弾圧の限りを尽してきたのに、ここにきて「イスラムの大義」とかいうのは、泣き言にもならない。独裁者を排除できなかった国民の不幸。優越民族として優遇されてきたツケ。しかし自業自得というにしてはあまりにも激しい爆撃。アメリカはイラク市民の命を虫くらいにしか思っていないのだろう。
 小型少量物質としてある物理、化学、生物兵器は、それがもしイラクにあったとして、この戦争でかえって拡散したのではないでしょうか。

 一週間ほどラジオのニュースを聞きながら、上記のようなことを思っていて、私は砂漠の牧童になったユメを見たのです。
 痩せたヒツジばかりの中に、何頭かの腹のふくらんだヒツジのまざっているのが気になって仕方がない。そういえば兄をまじえた大人たちが、ラクダの尻に何かを押し込んでいるところを覗き見た。子宮に何か大事なものを押し込んで隠したらしい。私のヒツジにも何かを入れたのだろうか。それともただ子どもを宿しているだけなのだろうか。兄たちは中学生くらいの私を草の少ない荒地においたまま、国境を越えて消えてしまった。

   フセインと彼の科学兵器の除去を目的に戦争を仕掛けたけれど、工学兵器とちがって探しにくいのではないでしょうか。だいいち科学兵器は場所を変え、少数の実行者で新たに作られてしまう事だって簡単だとききます。査察では「間に合わない」と言いながら、戦争にうったえても時間はかかり、探すのはやはり査察的行為だと思いますが。

 兄たちはラクダの子宮に重要物質を隠して越境しましたが、ラクダのお腹の中ではもっと大きな憎しみという危険物質もふくらんでいるようで、私の痩せた方のヒツジのお腹の中でも、何か得体のしれないものがふくらんでくるように思いながら、こわくなってユメからさめた私です。
 

 




 ■Kitami通信 No.5 2月16日  





2003年も一月半経ってしまった。
晴天の日の昼間は暑すぎるほどのアトリエ、日没後は、その暖気を大切に保ち、8時9時になってから足温器などを利用、省エネ生活を心がけています。
 この間気になることもいっぱいありましたが、私は新聞はとらず、テレビももうずっと見ていません。代わりにラジオのニュースと音楽は聞きます。


  2月15日深夜、国連安保理でのブリクスUNMOVIC委員長、エルバラダイIAEA事務局長の報告をライブで聴きました。
メディアの編集や解説抜きに、自分の耳で第一次資料を得る以外信用できない、という気分がこのところ大変強くなってきました。
各国の外交政治、マスコミ操作は、まるで劇のシナリオのようで、どうにでも色付けされる。
それを報道するジャーナリストも、役に取り込まれていて、冷静な報道を見分けるのは難しいと痛感します。
 当夜の印象でいうと、両委員長の冷静な報告、シリアやフランス代表の、静かだけれども鋭い分析による意見表明。これら4者の言葉とチリ代表の発言には、その内容への賛否はとにかく、聞き手に自分の言葉をきちんと伝えようとするマナーを感じましたが、その後のイギリス、アメリカの発言は、文字通りの演説で、自分の言葉というよりシナリオを、聞く者の耳にねじ込もうとする姿勢を感じました。「マナーが悪いなあ」と思ったことです。また、報告の一部だけをフレームアップしていることも気になりました。
 イスラエル、パキスタン、北朝鮮、インドなど、とりあえず不安定要素のある国の核保有は、等しく問題になると思うのですが。ヨーロッパを含め米英の外交には、「石油資源支配の欲望」が、やはり隠されているのかなあと思った、深夜のラジオ聴取でした。3時まで聞いてみて、正確に事実を伝えようとする言葉に接し感動したと同時に、強引な言葉の投げつけを受けたという気分も残り、私は複雑な疲れを覚えました。

   翌日近くのコンビニで「産経新聞」を買いました。安いのと、広告で嵩張っていないのと、記者の署名が徹底しているので「産経新聞」を買うことが多いのですが、2月15日のトップ見出しは、黒ゴッチクで大きく「化学物質1000トン不明」。記事全体を読んでみて、編集やレイアウトがいかに第一次情報を改変してしまうものかの好見本だと思いました。報告会全体はもっと冷静で、聞くものに考えさせる雰囲気があったと思います。  

 最近遊びで撮った写真です。こんなショットを30コマほど撮りました。光と影がシャッターを切るごとにズレ、太陽が刻々と位置を変えているのがわかりました。


 




 ■Kitami通信 No.4  





「11月4日、二子玉川から田園調布へ抜ける」
バスで多摩川の土手を走った。バスに乗って河川敷の風景を見るのが好きだ。マイカーでは味わえないノンビリさ。
温室村で降りて、武蔵工業大学のグランドを見たり、旧巨人軍の練習場を眺める。土手を降り、川から離れる。
昔はガラスの温室が連なって、カーネーションの花などが咲いていた。バス停の名前の由来。今では住宅とマンションでおおいつくされている。
15年前まで勤めていた学校へ寄って、美術の展示作品を見る。
その後、田園調布の台地に向かう急坂をのぼって、歩いた。建て変わった家も多く、ところどころで昔の木や家の様子を思い出す。
しかし田園調布の町はおおむね昔のままだ。
例の顔を真っ白にする美顔術の、その女性のつくりかけた白い御殿が、半分ほど完成している。
たぶんそれだろうと思う一等地の建物。片側は、切り取られて何か工事中。
詩人のKさんの家を写真に撮る。
田園調布の駅は今は地下にもぐり、埋め立てられた谷が広いスペースのすてきな駅になった。旧駅舎は保存されている。夕日があたって、ちょっと舞台の背景のようなので、写真におさめた。
それから、自由が丘に出た。ロータリーに面した富士書店はいまもにぎわっている。ひとの腕にぶつかりながら中に入って立ち読み。(11/14 記)

 




 ■Kitami通信 No.3  





「タヌキ通信」
喜多見という地名にちなんでつけたこのコーナーの名称を、「タヌキ通信」と改名しようかと思う。
ここ喜多見は、成城、大蔵、砧の四つの地名が接している場所。すぐそばに、今年創立百年を迎えた砧小学校がある。
家にいても休み時間の子どもたちの歓声がきこえる。夏のプールの水の匂いと、子どもたちのざわめきが体の奥に残ってい る。
外出時には必ず正門の前を通り、校庭や校舎を眺めることになる。
砧小の子どものなかに校名を逆に読んで「タヌキ小」と呼びあって遊ぶ子がいると思うのだ。必ずそれはあると思う。
そこでこの欄の名前を、彼等のいたずらにちなんで「タヌキ通信」と変えたい誘惑にかられている。
  タヌキといえば。
 わが家は国分寺崖線の傾斜地にあり左右は森。春に一度中庭で若いタヌキの兄弟に会ったことがある(ネコ、、、?いや イヌか?)
2メートルほどに近づいてタヌキとわかった。おとなしく伏せって私の顔を見上げている。ただ、実に興味深げな目がイヌ ともネコとも違っていた。兄弟はゆっくりと茂みに退いた。  

キタミ→キヌタ→タヌキ。この3つ、キとタの2字を共有。また、キヌタ=タヌキは字配りが左右対称。
キタミ通信はタヌキ通信に化けたい。
しかし、はじめから「タヌキ通信」なら、ただのくだけたタイトルとしか受け取られなかっただろう。
  というわけでこのコーナーは、タヌキが化けた「キタミ通信」です。(10/13 K.Ho)

 




 ■Kitami通信 No.2   





 6月15日付けでつくったページに、まだアキがあったので、近いうち10点ほどまた新しい絵を掲載します。
多分8月のはじめには完成すると思いますので、どうぞよろしく。(7/26 K.Ho)

 




 ■Kitami通信 No.1





 清水幹太氏につくってもらって私もHPをもつことができました。メールでレイアウトや校正のやりとり、また原稿追加とすっかり迷惑をかけてしまいました。ありがとう。
 絵はとりあえず10年区切りにしましたが、制作にそのような便利な節目があるわけもなく、一方枚数にはおのずから限度もあり収録のむずかしさを痛感しました。時間軸では収まりにくい作品も多く、傾向や素材別の編集も考えてみるべきかと思案しています。

 自己紹介のかわりに私の写真を載せます。
 学生のころ、蔵いっぱいになるほど撮らないと写真家にはなれないと言われました。まだ押し入れいっぱい位です。
 詩人と詩人の集まりを撮ることが多いのですが、今は出しません。
 楽しみで撮ったものから選びました。
 「'90 冬 中央線車中」は背の高い外国人が四ッ谷駅あたりの雪景色をドアガラスから見ているところ。
 窓外の風景や乗客に興味をもってずいぶん撮りました。

 



星野勝成シルエット



 まだ掲載しませんが撮影禁止の展覧会を撮ることにも意義を感じています。
 この春の例では、雪舟や等伯、雪村の屏風絵に観客の後ろ姿がかさなった写真は昔の絵に「いま、ここ」という臨場感を与えてくれているようでなかなかです。
 それにしても展覧会場はなぜ撮影禁止なのでしょう。
 撮影機器の機能、精度が高度化している今日、周囲に迷惑をかけないで資料の複写をしたり運筆や筆触などの細部の撮影ができます。個人の鑑賞記録として放任すべきです。(カタログには細部図版が不足しています。)
 第一厚さ6ミリの名刺サイズDCやケイタイのDC機能ひとつ見ても、今や小型撮影機器は目の延長であって禁止を貫くことは非現実的となっていないでしょうか。展覧会場の撮影は禁止事項ではなくマナーの問題にすぎないと思いますが、どうでしょう。
 2002.6.15 K.Ho



























 ■通信販売:リヒャルト・エルツェ









R・エルツェについての覚書 W・シュミート(香川檀・訳)
夢人館・ヴォルプスヴェーデ 小柳玲子
雲と地底の交情―洞窟の画家リヒャルト・エルツェ 星野勝成
年譜・作品解題 星野勝成
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岩崎美術社
定価 6000円

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仏訳は別刷です。

星野勝成
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