下の訳詩、
「かつて若かりし頃、わが舌に時雨れるがごとく、人生の味は甘かった。」ではないかという、ご意見もあると思います。 これは歌詞であって、メロディーにはフレーズ毎に相応した歌詞の意味を与える必要があります。一方このフレーズに続く、「私は人生と戯れた、あたかもそれが馬鹿げた遊びであるかのように、」以下の歌詞は、関係代名詞が省略されている形で「人生の味は甘く」に係っていくと私は見ています。それゆえ語の順序は 「かつて若かりし頃、人生の味は甘く、 わが舌に時雨れるがごとく。」なのです。 これは訳詩の限界で、実際のテレビ画像などでは、1フレーズ毎にテロップを流すようにすれば解消される問題であると思います。むしろ日本語そのものから創作するとすれば、 かつて若かりし頃 日々の味は甘く、口を漱ぐにも多く 人生と戯れ、私は遊び呆けていた 夜、渡る風が灯し火を揺らめかすのようにして と、即興で(私が)詩にすることもできます。しかしこれは正確には翻案であって、翻訳ではありません。 また最後のフレーズも日本語的には長ったらしく感じますが、文法的・構文的に前に係る英語を話すひとの意識では不自然ではないのです。それゆえ日本語である私の翻案は、一連の文章の主文(「私」と動詞を含む)を3行目に持ってこざるを得ないのです。 そのほか「意味的に」最後のフレーズは、このあとの2番目の歌詞、 数多の夢を夢見て、とてつもないことを企てた しかし私はいつも緩く、移ろい易い砂のうえに その夢を打ち立てていたのだ・・・ にも係っていくと思います。
|
|