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日録、風のなかで話しましょう


2005年8月

2005/8/29(mon)
「現代詩手帖」の9月号を、

今日、書店から買ってきて、いま捲ってました。
 
2・3の面白い詩と好感の持てる論稿・詩、私自身が詳しいところでは懸念するような議論がありました。(これを書き込まざるを得ないところに、どういう事態か察してください。ネットで一方的に論破するのは、フェアではないので止めておきましょう。)
 
こういう雑誌なので、私は買い繋いでいるのかとも思います。

 
海きょんさんの「隣睦」書評、うどうさんの同人誌・「詩集」広告、志郎康さんのお名前などが出ています。

2005/8/27(sat)
 短歌、縦書き 



盛夏にも、わが身の内に詠わせよ
人生の潮(シオ)、
なお冷めぬから
 
水に落ち、限りを知らすかげろうを
夏行(ユ)く光、
ほのかに斎(マツ)リ



これは縦書きの実験です。
くわしくは該当日のゲストブックをご覧ください。

2005/8/26(fri)
 短歌、縦書き 


盛夏にも
わが身の内に詠わせよ
人生の潮(シオ)、
なお冷めぬから
 
水に落ち、限りを知らすかげろうを
夏行(ユ)く光、
ほのかに斎(マツ)リ

2005/8/2(tue)
遠州と京都、

比べてみると、(もう、一度書いたかな、)、
で、もう一度書きます。
 
遠州はもろ暑い!
京都のじわじわ、蒸し上がる暑さとは別。

この暑さは潮風と中州の地域と内陸、しかも地下は伏流水の上にのった土地の上ではぜんぜ〜ん違います。言い換えると、熱射と蒸し風呂の違い。肌が塩にベタつき焼かれるか、肌を濡らす暑さかです。
 
去年は京都・西山の際(キワ)でマンションの5階だったから、窓を開けると、地面から離れている分、何とか耐えられましたが、今年は海から10キロの平地(ヒラチ)で1階。思わずクーラーを点けてしまいます。
 
私事に渡れば、この雰囲気がですね、次の詩集の構想に影響する感じがします。私の詩が動機を自分の生活に求めている場合が多いみたいで、うえの、別に気候だけではないのですが、二つの世界が纏まらないような気がします。どう処理しますかねー。困った。
 
とにかくそれぞれの地域の、それぞれの生活の夏があるでしょう。明るい光と清澄な影の季節、
暑中お見舞い申し上げます。
 
 
盛夏にもわが身のうちに詠わせよ
人生の潮(シオ)、なお冷めぬから
 
水に落ち、限りを知らすかげろうを
夏行(ユ)く光、ほのかに斎(マツ)リ

 

 



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