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日録、風のなかで話しましょう


2004年8月

2004/8/30(mon)
 8月の日録 

アテネ・オリンピックばかり見ていて、日録がお留守でした。縷々保険業界のことを書いてきましたが、誤解の無いよう、既述と重複しますが、念のため申し上げておくことに気がつきました。
 
保険料の集金システムに過ぎない通販系自動車保険の参入で、保険料の低迷している上に、代理店手数料が下げられている。おかしいことに火災・傷害保険、賠償責任保険まで、私たちの唯一の収入源である(口座振替の費用も私たちの負担)手数料が下げられているということを書いてきました。さらに一方で困窮させながら、不正のないよう、厳しい代理店の監視を、金融庁とともに保険会社はしているのです。
 
しかしこの手数料の判定基準は、保険会社各社毎に大きく違います。ある会社では年間の取扱高の低い代理店には、私と同じように過去の45%程度しか支払わないと聞きました。私の場合は会社が違うだけでなく、統合前の三井海上でも5万店若の総代理店中、7千番程度の規模の保険代理店でした。同じ基準で他社の代理店の話を聞いたり、ネットの議論を見て、判断されないようにお願いします。
 
私の場合は大きな理由が規模のほかに、生命保険を扱わないことも大きく影響しています。遺伝的・社会的要素などによる平均余命・罹患率の問題、経済変動を無視した超長期に渡る財務運営など疑わしい部分があり、本来短期的な確率の危険を扱う、損害保険の運用に携わる損害保険代理店としては良心的徴兵拒否をせざるを得ません。しかも生命保険会社は本体とは別会社です。(ほかにも理由はありますが、きりがないので省略します。)
 
コンビニが大手で1万店を超え、淘汰状態にあるのと比較すると、上記のように代理店の数は多すぎるように見えます。しかしこの数を減らせば、自動車保険を例に取ると解りやすいのですが、確実に付保率は減ります。代理店と交渉する営業社員とともに、省くことのできないものを省こうとしています。仮に減らすとしても、大手の代理店と手数料率に6割も差をつけて、ひとを兵糧攻めにして離職させようなど、世の中に通る話ではないのです。
 
この手数料率の操作については金融庁でも認めるまで、議論があり、時間が係ったことです。しかもここ数年で社会の意識も大きく変わってきました。過去護送船団方式と言われながら、無際限に代理店を増やし、過当競争はコントロールしなかった政府の責任もあります。私としては、すべてのつけを弱小代理店側に廻すのは、バブルの時代同様、またぞろ無関心と無責任のつけ廻しに見えるのです。


今月の日録では「八月の日記」が良かったように思います。上記はあくまで「補足」です。再読いただければ幸いです。

 

 訂正  

終段
「この手数料率の操作については金融庁でも認めるまで、議論があり、時間が係ったことです。・・・」
「この手数料率の操作については金融庁でも認めるまで、議論があり、【多くの時間が係ったほどの大きな問題です。】しかもここ数年で社会の意識も【このようなことを許さない方向に】大きく変わってきました。・・・」

2004/8/12(thu)
 この夏もそろそろ夕暮れの季節 

いま午後7時前、キーボードを打つこの時間、京都の西山は残照。弱い光のなか、山々の鮮やかな緑は一息をつくかのように鎮まっています。
私の窓辺から見える景色、小さな古墳の森の手前、畑は幾種もの、旺盛に葉を開いた野菜で埋まっています。農夫が刈り取った草を焼き、散歩の犬が、女の人に連れられて、棚田の畦を慎重に降りていく。
山の際(キワ)でもここは大都会の郊外。帰宅するひと、これから出かける人々が、稲穂の実り始めた田の側の道ですれ違い、挨拶を交わしています。
「逢魔が時」などと誰が言うのか、この夏にあってはひとときの休息のとき、適当な弱い光が人々の営みを際立たせる時間です。
私も少しは雑事から逃れたいと思った。
もうすぐ夕闇が迫ってきます。

2004/8/10(tue)
 農業の問題

今日、大規模で(ごく少数の)効率的な専業農家には助成金を増やし、小規模で兼業が多い(大多数の)農家には助成金を減らす、もって農業の国際競争力を上げようという案が農水省の審議会で出たという。全体では助成金は減るだろう。
 
これはまるで記述のように、私たち保険代理業の世界で大規模で少数の代理店にはほぼ以前通りの手数料率で、僅かに参入が遅れたために小規模に留まっている大多数の代理店には経費も出ない手数料しか与えないのと非常に似ている。(実にその差は最大60%!)或いは損害保険業界のリストラ(「再構築」どころか、「企業縮小」の為の「人員整理」。)がモデルになったのではないか。
 
保険のやり方は法律上の公平の原則・契約論からは疑義があるが、農業の場合は公的な補助であり、役所の持つ国民に対する公平の原則からして問題があろう。また新たな援助策や優遇策でもない。
 
保険に関しては、統合化は明らかに事故の時や契約管理にとってサービスの低下を招くであろう。アメリカ式の農業のように、品質の良いものが供給できるかは疑問である。後継者も減少するだろう。(ところで余った人はどこへ行くのであろうか?)
 
民間であれ、政府機関であれ、このような悪魔的な形而上学的ゲームを考え、許すという企画担当部門がこの国に存在するということは、私にはどうしても納得できない。これはバブルの延長線上の論理でしかなく、利益追求型の全体主義であり、ごく少数者のみの利益を守るものである。

2004/8/7(sat)
 「八月の日記」 

今日NHK−BSでバブルの時代のことをやっていた。私たち、団塊の世代の後に続く世代は、この時代の後始末に奔走してきた。それが苦渋でなくてなんだろう。この番組はまるで反省会で、あの時代の激烈に汚い部分が十分には描ききれていないと思った。
 
私はこのバブルの時代を、父親の早逝後に自分や弟が、或いは多くが新聞奨学生であった従業員が日々を購い、学業を続けるために、借金も背負いながら、ひたむきに勉強した青年時代の詩と対立させて、詩にした。詩集「夜桜は散り落ちて」に収録した「八月の日記」である。

 
僕の太陽はよく冷蔵庫のなかに仕舞ってある
どうやら大昔のある頃
僕は相当、身を焦がす日々のなかに在ったようだ
//
日没のとき、わたしはレンガ積みの職人
この燃える世界
太陽は充満し、それは香木の薫り
わたしはもう知っていた
昼間割ったレンガの中に同じ匂いがして
ねらいを定めて振り降ろしたハンマーは
赤い破片を撒き散らし
この夕暮れの色を大地に広げた

・・・(中略)・・・
何故かは分からない
でももう終わりの時間
一日を清算してしまう、夕陽
逆らってみよう
夕暮れに飛び立ち
群れを造るカラスのように
わたしはさびしくはなりたくはない

 
甘い詩や、長く続いた看病と家業しか知らず
まだほとんど十代の精神は初めて身辺を見回した
すると、『現実』に試されずに//(中略)(粗野で、稚拙な)/思考可能なだけの様々な『思想』と・・・(無邪気で、好都合な)/怪物のような『思惑』があった

 
これが1970年代の中頃の時代であった。そして病後の80年代中頃に、私は損害保険代理店研修の名目で保険会社の直販社員を始める。すると、
 
ご立派で、ご大層な私利私欲が当時流行していた
『現実』をわずかに概念に取り込むことだけによって/『超越的に』正当だと称し、・・・(中略)・・・『形而上学的』思考を、営利や金融に展開した『思想』/結果的には対価と報酬の関係、生産と労働の関係の分断/価値と評価の混乱/不良債権!・・・(中略)・・・隠された狂気と複雑な窃盗行為の巧みな正当化!/・・・(中略)・・・/さらに人生・幸福・交友・性までもが混乱した/―人間の―社会意識に調和して行った

 
私はこのような時代、いずれ癌と解る母親の食事も含め、身の廻りの世話をしつつ、保険代理店を独立営業させ、一度死んだ身と思い、自分の能力の及ぶ限り、この仕事に努めた。それは決して生やさしいことではなかった。いわれのない屈辱的なこともあった。
 
確かに僕も身構えることもできず、何十万という人々の/『思想・思惑』の大海に引きずり込まれそうになって/命からがら這い出したこともあった/世界中がおかしくなっても、自分だけは正気を失うまい/そう、誓った/だがしかし若い僕が洞察し、慎重に忌避したり/ときに闘い抜いた、そして嫌悪を抱いた限り/すべてのことが今日破綻している
 
このような書き方をしたとして、「えー、バブルの時代で何年前のことや。不良債権って、いまは不良の中小企業のことやでー。」とまあ、そのままの言葉ではないだろうが、流行と社会の罪を区別できないひともいるだろうし、おそらくバブル崩壊直後に「これは気分的な不況でありますから、」と大本営発表を繰り返した政権があったことも忘れているであろう。
 
一例としてあげれば、中小企業が現在不良債権なのは、空洞化などのほかに、土地などの有形の不良債権で、貸し出しができなくなった金融業が資金を提供できなくなったからではないか。潰れる会社は潰れ、この状況も終わり始めたが、忘れてはならないこともあるのだ。
 
再三書いてきたように、社会の無責任と無関心で、私をはじめ多くの保険代理店・保険会社の社員が絶望的状況にある。この苦しみも時間の経過に任せて見殺しにするような態度は何であれ、私は許せない気持ちなのだ。
 
今日の番組には何かが不足していた。現実の社会で起きている、涙と血と汗が足りない。

 
若かったではあろう、しかしかくも生きた/『青春』だけが私の許に住まい/そしていまもまだ、私は当時の明暗を繰り返した日々を/『歴史』の記述に纏めることもできないでいる

ただ、あの日の『現実』の風だけはいまも自由ではあろう/確かに太陽の浮き沈みは原始以来、地球が自転し/大気の存在とともに続く自然現象でしかない/しかし人生にとって何事かの投影機にはなる
一枚のスライドを、私は取り出す
冷蔵庫のなかから
 
さて今日の仕事はおしまいにしよう
時計は均等に時間を刻み
その分だけ、少しだけ世界が変わり
まだ見ぬ、不思議な人達と舞台が
赤いパノラマのなかに浮かびあがる
 
活動の火はレンガの中にあり
さらに未来を築こうとして
レンガは水を吸うように
世界を集め始める

2004/8/6(fri)
 まさに真夏、熱中症

今日は電話なし、FAX一本、予定なし。
この暑いなか掃除を始めた。もうこのあたりで異常に気づくべきであったのだが、少し掃除機を掛けるだけのつもりが、買ったばかりのオレンジ・クレンザーで吹き掃除も始めた。まあ綺麗になること、止まらなくなり、ついには電気製品、勝手周り、扉などピカピカ、トイレもバスもピカピカ。
一休みと思って、1年ぶりに靴まで磨いてしまった。洗濯も全部した。その間に分厚いタオルが5枚汗だくになり、2回着替えた。ひと月換えてないシーツもある。それでまた洗濯。
こんなことを4時間ほど続けたのち、ベランダから戻るとき、突然目の前が白くなり、身体が軽くなった。「そうか熱中症か、このまま畳の上で倒れたほうがよいか。待て!多分起きられないだろう。そうなると、・・・
多分喜ぶ人はいっぱいいる。もう怒鳴られることもなくなった保険会社の損害調査部の社員も、営業課の女性社員も担当者も、諸手を挙げて喜ぶ。病院の事故係・弁護士さんも、示談屋さんも、ほかの保険代理店のひとも、ついでに詩人やネットのひと、編集者にも、私など何の実害もないのに、喜ぶかも知れない。
灰皿町に空き家が・・・」
ふらふらとお勝手まで行き、水を何リットルか飲んだ、クーラーを点けて(なぜ点けていなかったのか?)、ジュース片手にソファの上で、意味もなく(詩の本も読まず)、テレビを見つめ続けた。こんなのは久し振りだった。夕方ころ、やっと立ち上がると、左側頭部に立っていられないほどの頭痛が走る。痛み止めを飲んだが、今は後頭部が痛く、気分がだいぶ良くなった。
普段は低い血圧が朝からずっと、昼中上がっていたみたい。このところストレスが多かったから、熱中症に気が付かなかったようだ。危なかった。




 訂正

「いまは後頭部がやや痛いだけで、気分はだいぶ良くなった。」
訂正しいる間に痛みがなくなる。しかしまだ風邪のあとのようにふらつく。

2004/8/4(wed)
 詩を書いている保険屋としては、 

−あまりこういうひとはいないかも知れないが−わりと政治的な発言や、法律的な判断を背景にものを論ずる傾向があると思われているかもしれない。実際私の育った10代のころは1970年代中頃で、社会が騒然としてはいたけど、盛んだった学生運動などよりあとの世代になる。
 
私は詩に夢中で、自我や心理に深く没入していた。人生とは何に関するものであるか、哲学的に悩んでは、人間性に関係するものとして、父親の希望−父の母方は医者の家系−の医学や生物学にも関心があった。まるでカール・ヤスパースの少年時代みたいだけど、実際私はあとで、彼と同じ法学部にまず最初に転がりこんだのだから、後年だいぶヤスパースの著作に惹かれた時期があった。
 
(不幸なのは、大学院修了後に体調を崩し、買い溜めておいた彼の著作が原書・翻訳本とも、読み切れないまま、かなりの量が残っている。)
 
詩集にも書いたが、この法学部で社会・政治への目が開かれたと思う。私は嫌がっていたが、関西大学の法学部の先生は学会の権威か、新進気鋭の方々ばかりだった。その人たちが、惨めなばかりに父親の早世で落胆し、強制的に新聞販売店を切り盛りさせられていた私に圧倒的な学識で迫ってきた。個人的に親身に励ましていただいた方もいらした。
 
私の社会的な発言や、変に社会に対する責任感を持つ傾向の初源は、この辺りにあることは間違いないと思う。人は青春を死ぬまで生きる、私にとってのファースト・キャリアであった。実際一時は行政理論の研究で大学院の受験もしたが、元々現役で合格できるような所でもなく、このまま就職しても企業の総務で、事故処理やあと始末ばかり(笑)。そこへ哲学科の編入と別の大学の大学院が合格してしまい、こんな結果になっているのだ。(あと身体を壊して、保険屋を始めた。)
 
振り返って見ると、結果的には政治学・法律学・哲学とも浅いところに留まっているのかもしれない。だがしかし保険代理業は、いま上に挙げた全ての学問領域に係わるものであった。それはそれでけっこう役には立っている。
 
交通事故の怪我、これも医学的判断と法律・社会保障制度との兼ね合いが難しいが、選択肢が多く、勘一つで被害者の契約者にそのどれかをアドバイスする必要がある。その判断による利益の較差はかなり大きい。(事故処理後の不平不満の原因は大半がここにある。)また被害者心理などはカウンセラーなみの判断が求められるし、PTSDなどをを回避する一番の位置に、保険代理店はいる。いままでにどれほどこれらのことを経験したのだろう。
 
哲学の人間存在の把握、ヤスパースの「精神病理学序説」で心の洗われるような思いのしたものには、この仕事は面白くて堪らないものなのだ。日常業務のほか、たとえば医師を出し抜いて、うわごとを言う被害者の精神状態は正常と見て、逆に脳の傷害を見つけたことも何度かある。医師よりもその人のことはよく知っている。また今年もすでに一人弁護士を論破した。優秀ではあるが、弁護士の中にも経験が浅いか、過剰に自分の世界観で法律判断や事実の認定を押し通そうとする人がいる。
 
それにつけても自分のいま立たされている位置の情けなさは思わざるを得ない。(大手の代理店と弱小代理店の手数料較差は60%もある。)そしてこれにしても日米保険交渉と日本政府の頼りなさ、日本企業の構造的な判断力の曖昧さの結果なのだ。自由に私が思うとおりに仕事ができるような環境なら、社会にも保険代理店そして保険会社にも、より良い結果がもたらされるようにも思うのだか。(誰も支持も、評価もしてくれない。)


 

日の陰るこの身はひとり侘びゆくに
だれに糾すもいいて返らず
 
この道の険しくあるに日は陰り
雨と陽と風、いま一度在れ
 
雷神が怒りもくれぬ大地には
稲も実らず民の枯れいく

2004/8/2(mon)
 今日は満月でしたね。 

雲居に隠れ、絶好の墨絵の姿、言葉と一緒で墨絵は真実の色を伝えるものではない、しかしそこから真実の色が見える(かも知れない)。
 
しかしなぜ太陽の、この日の出にも比すべき、この優美な月の出を、そして私の好きな夏の夜のかぐわしさも、そばにそよぐ草むらも楽しむことはできないのだろう。
 
京都の西山、大原野、鬱蒼とした北山杉と竹藪が山すそに見え、清和天皇陵に近く、険しい坂道を登りながら、月を愛でぬ自分の心根を思った。
 
さてどうなるか。世界と時代は予定表通りに進まないのが普通です。保険会社にも代理店にも、サービスを受ける日本国民(地球人口の50分の1、事柄の重大さを見過ごしてはいけません。)にも。


     

  夏行けば業火に燃ゆる地にはあれ
  雲間に消えぬ月の姿よ

 

  夏の夕絶えざる野火に思い馳せ
  無駄に消え行く草の哀れを

 

2004/8/1(sun)
 8月になって、 

いまは書くことがなくなった、と同時に、これから書くこともきっとたくさん出てくるに違いないと思う。
 
今月も戦う保険屋で行きたいと思うが、・・・
 
この世界は前近代的な部分もあって、先月あれだけ書くと、どこまで保険屋を続けらられるか?あまり自信はない。しかし自分にうそをつくこともできない。暗黙の抑圧に黙することもできない。こういう性分なのだ。
 
詩を書く人は、うそがつけない。正直なうそ以外は必ず詩に現れる。それゆえどの時代、どの地域においても詩を書くひとは迫害を受けるのかも知れない。私の場合はこの損害保険から獲得した詩の言葉も多いのである。
 
だがこの業界、合理的な面もあって、あの関西でどういうわけか、詳しく報道された東京都の都教委のように、どんな理由も正当化できない「脅威的」な仕業にはならない。この国は法治国家であり、そして大切なのは精神であり、理性である。
 
(言っておくが、私には何の騙りもない。宮内省の学者の孫という、或いは皇族フリークの母親に育てられたという特殊な事情はあるが、典型的な無党派だ。しかし理性は信じる。理不尽なものは、どのようなものであれ、認容できないだけのこと。高率な失業率と低賃金に苦しむ関西からすると、東京の有様は、これが日本の中枢の地域の出来事かと思うのではないか。内部引き締めであろうか、判らないのである。)
 
そういえば大企業の中枢も、保険政策を決めている政府も東京にある。私たちの青年期には東西に分断されて、世界経済が現在ほどには活動できない間に、世界中から集まる富を、理性も何もなく、時に暴力的に奪い合った時代があった。その延長線上に、われわれの社会的な行動や判断を決めてはいけないのだ。
 
或いは大変な月になるかもしれない。わが実存が試される月かもしれない。(これで私を実存主義者などと言わないように。現存在分析論で修士論文を書いた私には、日常的な自己存在を表すボキャブラリー、語彙のひとつでしかない。念のため。)



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