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日録、風のなかで話しましょう


2004年7月

2004/7/30(fri)
 現下における保険業界の重大な問題 

 −社会のために−

今月の終わりに当たり、補足しておくべき事柄に気がついたので、あえて書いておきます。この口調で解るとおり、このページを見ている、特に保険会社の若い営業部のみなさんに申し上げたく思います。
 
私もそろそろ17年間保険代理業をしてきて思い知らされています。この仕事は非常にやりがいもあるし、営業が拡販であることよりも、また社会福祉・保障については侵さざるべき領域にあることは、みなさんも各社の研修において承知しておられることです。
 
一方で営業のもうひとつの柱である−保険が募集する契約で成立する「大数の原理」により成り立つ−拡販の部分が、今日過剰な飽和状態にあり、実際には、私たち代理店・営業社員の双方に深刻な影響を及ぼし、組織と販売システムの構築によって取って代わっている事実に、気がつかなくてはいけません。直截に言えば、「小規模代理店の整理」と「営業社員の削減」なのです。これが、どれほどか重圧的な状況であるか、この業界の中にいない人でも容易に解るでしょう。
 
さらに解り易く、最大の問題は、私たちの扱う商品の価値である社会福祉・保障と拡販自体が、私が「保険改悪」という上記のムーブメントによって阻害されている事実です。
 
この状況で代理店・営業社員が、心理的にも拡販に勤められるでしょうか?社会保障と公正さに気を配るための時間的・能力的・財政的な余地は、もうほとんどありません。尽きてきました。これは一種の「病理」であり、そのために補償の基礎になる収入保険料が減っているとはいえないでしょうか。下記の若年者の自動車保険未加入の問題もあります。(さらに社会で起きていることは、車検の未検査−国土交通省の政策にも問題がある。−、そして自賠責の未加入でさえあるのです。)
 
まだ業界と社会のどちらも、意識に上っていない大問題です。よく考えてください。このままで省略化の方向に行くことによって、上述来の問題は解決可能なのでしょうか?私はいつもここで躓きます。
 
そして保険会社関係者以外のひとには、この一業界の問題は、明らかに自分たちご自身の重大な問題であることに、ぜひ気がついていただきたいのです。この無規制・無法な「保険改悪」の構図が、みなさんにいつ刃(ヤイバ)を向けるか、判らない現下の状況なのです。


 現下における保険業界の重大な問題(2) 

一番具体的な事例では、先行して代理店の省略化・営業のみならず損害調査、保険金支配い部門までリストラしてしまったT海上がいましたが、私人身が解約された代理店に頼まれて親族の契約を引き受けていた有様で、大量の契約が流失しました。また事故処理の不備、未熟さが目立ち、何度何の関係もないひとが相談に見えたことか。通販系よりは多いようです。通販の契約数がそれほどないからでしょう。
 
被害者になったとき、誰もが十分で公平なサービスと補償が、受けられなくなって来ました。
 
また生命保険の兼営が進みますが、生命保険は19世紀にドイツの数学者が生存率と人口を基に、死亡までの期間を対数で計算したことに始まります。その後の生物学・医学の発達は、一部の契約者を排除するほか、どれほど考慮されたか知りません。現在では遺伝子によって病気の殆どが決まるとされています。職業・環境も入れれば、生命保険の成立根拠自体が、今日非常に疑わしいのです。
 
手術後5年生存率を危ぶまれた私に関して言えば、10数年以上元気でついに完全な完治宣言を5年以上前に頂いている。あるいは各自に罹患率も含め、先天的に死ぬとも、生きることも決まってるのかも知れない。生命保険は簡易保険のように公共性を高めることが必要です。
 
公共の健康保険との大きな違いがここに現れています。アメリカなどでは生命保険会社が政府の規制を受けつつ、健康保険を運用していますが、アメリカで「生命保険に入れない。」と言えば、「健康保険に入れない。」ことを意味します。そのうえ通院する病院・医療の内容・投薬にまで私企業が指図をします。ERで生命保険会社と戦う医師、「俺は上等の保険にはぃっているんだぞー。」と頑張る救急患者が出ていましたが、日本でいえば、ここでいう「保険」とは健康保険のことです。さらに一部では雇用主がこの種の「生命保険」に入るようになっていますが、実際には自由競争で安価な保険に入り、問題を生じているようです。
 
かつて一時滞在しているアメリカ人が滞在中の海外旅行保険に入りたがり、閉口したことがあります。(現在は禁止。なおこれも上記の変なリストラを大手T海上が始めたことです。大体何かあの会社は変。)詳細に拙い英語で日本の公的?健康保険の説明と役場での手続きの仕方を教えてあげた。なにしろ向こうに該当する言葉と常識がないので、説明するには苦労しましたが、哀れなアメリカ青年の喜びようはなかった。社会補償の後進国とはこのようものなのです。
 
(健康保険も民営化してしまえという、乱暴なアメリカ主義者が現れています。十分この種の日本人には警戒すべき状態にあることは喚起しておきます。これらの人たちはかく主張することで何らかのアメリカン・ドリームを夢見ているように思えます。)
 
日米保険交渉の結果が、今日の代理店の自殺者まで出し、事故の被害者を虐待する行為を生じている要因です。
 
以上の理由以外にも生命保険の問題は多々あります。たとえば現在生きている人の将来の生存率は医学、生活の質の変化などで実は不明なのです。超長期に渡り契約するのだから、保険会社の存続も含め、経済情勢の変化に対して、責任ある発言を求められる「損害」保険代理店がすべきことか、にも疑問を感じます。(一応、私が20代から生命保険に入れなかったことは別にします。笑)
 
今日はここまでにしておきます。だから私は生命保険は取り扱っていない。このことによって2割は手数料を削られているし、批判もされている。しかし良心的徴兵拒否を貫徹するつもりです。日米保険交渉を指揮したクリントン君は、ベトナム戦争の徴兵を拒否するという立派なアメリカ合衆国の大統領であったのです。お互い自叙伝的な詩集と自叙伝で頑張りましょう。(笑)

まったく私も自分の仕事をかけて、日本国民全部の補償のためにこんなことを主張しているのだが、誰か理解してくれるのだろうか。交通事故にでもあえばわかるでしょう。
 
人身傷害という自動車保険の特約で自分の保険会社に補償してもらうのがありますが、自賠責基準の補償で、自分の保険会社と交渉するのは同じ、かつ自動車を保有していない人は入れません。これも一種の公的保険の私営化に近い特約であるし、発明したのは上のT海上。(同じ時期、私は被害対策として弁護士費用特約を三井海上に提案した。)ここは自賠責の私営化まで主張した。私がこんなことを書き連ねるようになった原因の記事を掲載した日経新聞が表彰しています。過去には時期を失して「代理店の統廃合について」同種の記事を書いて処分されたマスコミ関係者もいたようです。これが保険の世界で起きていることなのです。
 
保険会社の人、私は法令順守・事務処理では、会社の検査担当者が見本にさせてもらいたいというような代理店ですよ。よろしく!

2004/7/31(sat)
 現下における保険業界の重大な問題 

 −社会のために−

今月の終わりに当たり、あえて補足しておくべき事柄に気がついたので書いておきます。この口調で解るとおり、このページを見ている、特に保険会社の若い営業部のみなさんに申し上げておきます。
 
私もそろそろ17年間保険代理業をしてきて思うことは、この仕事は非常にやりがいもあるし、営業が拡販である以上に、社会福祉・保障については侵さざるべき領域があることは、みなさんも各社の研修において承知しておられることです。
 
一方で営業のもうひとつの柱である拡販の部分が、今日過剰な飽和状態にあり、実際には、私たち代理店・営業社員の双方に取って、組織と販売システムの構築によって取って代わっている事実に、気がつかなくてはいけません。直截に言えば、「小規模代理店の整理」と「営業社員の削減」なのです。どれほどか重圧的な状況であるか、この業界の中にいない人でも容易に解るでしょう。
 
さらに解り易く、最大の矛盾は、私たちの扱う商品の価値である社会福祉・保障と拡販自体が、私が「保険改悪」という上記のムーブメントによって阻害されている事実です。
 
この状況で代理店・営業社員が、心理的にも拡販に勤められるでしょうか?社会保障と公正さに気を配るための時間的・能力的・財政的な余地は、もうほとんどありません。これは一種の「病理」であり、そのために補償の基礎になる収入保険料が減っているとはいえないでしょうか。下記の若年者の自動車保険身加入の問題もあります。(さらに社会で起きていることは、車検の未検査、そして自賠責の未加入でさえあるのです。)
 
まだ業界と社会のどちらも、意識に上っていない大問題です。よく考えてください。このままで省略化の方向に行くことによって、上述来の問題は解決可能なのでしょうか?私はいつもここで躓きます。
 
また保険会社関係者以外のひとは、この一業界の問題は、明らかに自分たちご自身の重大な問題であることに気がついていただきたいのです。無規制・無法な「保険改悪」はみなさんにいつ刃(ヤイバ)を向けるか、判らない状況なのです。


 訂正 
 
「若年者の自動車保険身加入の問題」
         ⇒「自動車保険未加入」

この7/31分を書き直し。廃棄とします。7/30をご覧ください。

2004/7/29(thu)
 言葉の意味! 

今日の毎日新聞の記事、以下
 
 
「檄(げき)を飛ばす」や「姑息(こそく)」という慣用句を7割前後の人が本来とは違う意味で理解していることが、文化庁が29日発表した。・・・
(○は本来の意味、△は違う意味。数字は%)
<檄を飛ばす>
○自分の主張を広く知らせる 15
△元気のない人に刺激を与える74
<姑息>
○一時しのぎ        13
△ひきょうな        70
<憮然>
○失望してぼんやりしている 16
△腹を立てている様子    69
<雨模様>
○雨が降りそうな様子    38
△小雨が降ったりやんだり  45
<さわり>
○話などの要点       31
△話などの最初の部分    59
 
 
以上、明らかにこの調査自体が変ですね。
言葉には、時代・時代で関係付けが変化します。まるで戦後すぐくらいまでの言葉の意味が正しいとされている。
 
△のほうが今の時代では、正しい。○は●。(また新しい表記ができた。)理由はみんながそう考えているから。上の多数決を民主主義的に解すると、間違っているのは文化庁です。これで国立大学の受験をしたら、納税者は怒りますよ。
 
思い出したのは、<檄を飛ば>した三島由紀夫と吉岡実の「サフラン摘み」、後の方では「天蓋を超えるまで」の詩句が当時、高校生の私の耳に残っていて、国語の先生と大喧嘩をしたことがある。先生曰く、「天蓋とは、お坊さんの被る笠のことだ!」・・・・・
話にならないのは明白で、当時でさえ、先生の言う「天蓋」は「非常に、きわめて、稀な、」言葉の用法でしょう。
 
腹立ちまぎれに、「サフラン摘み」の詩集と当時のユリイカを先生に見せた。何か唖然とされていたのを思い出します。

2004/7/27(tue)
 このひと月の書き込んだこと 

を読み直して、思うことは、「荒れている。」精神的な荒れは、文章に明確に現れている。「筆に現れる」ということは、文字について言われるが、文章もまたそうだろう。そしてこれは私事であろうか?
 
今回の損害保険業界の問題も元を辿れば、東西冷戦時の日本の国際的な地位にまで結びついている。そしてそれを単純な金銭的利害の次元でしか処理できなかった業界と、そこで指導的な立場にいた、身分・部門にいた人間の責任が大きい。
 
しかしそれにしても詩を書くということで、この場所に居る人間が言及するのはどうであろうか。

詩でも文学でも大切なことは、「社会のなかに居ること」なのだ。また詩の世界は、詩の不人気とともに、そこだけに留まることが許されない状況でもある。却って有形無形で詩の世界にそれは持って帰らないといけない。
 
若い内はそれは無理かも知れないが、神様に愛されるかのように、「詩人薄命」に詩人が死んでいった時代ではない。(もっとも私の場合は、滅多にないほどの確率で「薄命」し損なった。)
 
現代は「詩人?」の方が社会に精通している変な時代なのだ。


 誤解のないように

私は「薄命し損なった。」から、詩の才能が無い証拠で、つまり死ななかったから、神様に見放されているのです。笑。

2004/7/26(mon)
 保険代理店の統廃合(社会認識の問題) 

ここ数年で嫌と言うほど、コンピューターに詳しくなった。保険会社は旧式のウィンドウズOSを基準にしており、これは複数のOS用のアプリケーション・プログラムに対応しているため、OS自体が不安定で、どんなウィルス・プログラムにも対応してしまう脆弱なシステムでしかない。
 
今度出るXP−SP2では、セキュリティ上、脆弱なアプリケーションの殆どが使えないらしい。さらに商業的なOSは数年に一回は改定して、更新される。また広く流通しているだけに、他人にも知られ、且つ、こうもウィルス・スパイウェアの標的にされている。本来更新・保守とともに難しい代物なのだ。
 
それをこともあろうに、合理化の道具とだけ考え、導入した。通信費なども10万店代理店があれば、一度FAXを送ると、単純計算で100万円懸かることになる。今度の統廃合も保険会社側の社員の人件費の節約・整理以外にもこんな理由がある。しかしこのシステムの維持の為には、今後莫大な経費と人員が懸かるだろう。(下請け化が不可能なのは、性質上当然だろう。)
 
なぜオープンなリナックスで、ウィンドウズでもマックでも対応できるシステムを構築しなかったのか?費用は懸かるが、保険会社が安全のために経費をかけないのだろうか?まあ、被害にあった時の保険はある。
 
代理店の方は、保守の専門家もいない、例えば明日の朝、一番に顧客が新規の自動車保険・車両入替を連絡してきたら、そして今晩、パソコンが不調なら、どうしたらよいのだろう。(機密を守るために、他人のパソコンが使用できないのも当然。)嫌でも詳しくなる。このまえは会社のホームページのプログラムミスを見つけて、修復させてしまった。
 
パソコンが扱えず、保険代理業として歳を重ね、一番顧客が獲得できる熟年の代理店が辞めていく。リスク細分可を進めた為に、若年者の自動車保険が減り、若い社員を獲得できない会社の雇用と同じで、実際に社会全体では自動車保険離れが起こっている。自動車の保有台数の減少を、自動車保険の収入保険料の減少の理由にしている向きもあるが、こんな問題も保険会社は気がつかないままなのだ。

 
「現実」を知るものは現場の保険代理店だけなのだ。
 
ここ数年の損害保険の改変について、道義上詳しく言えないし、書き尽くせることも、或いは私がすべてに気がつき、思いつくこともできないほどだが、コンピューターのシステムひとつ取っても、現場で起きている単純な事実についても、この有様なのだ。
 
保険会社の将来的な営業政策の見通しが全般的に、古い、安易、机上の空論、社会の要求と常識に適合していないのだ。そのなかで失敗や不都合のつけを弱小代理店にまわしている。
 
それで手数料を削り、子猫の首でも掴むように「統廃合」などと言う言葉を、どうして言えるのか。それに見合うだけの補償も、私たちにはないのだ。
 
なるほど会社組織にすれば、失業保険も貰える。短期間の雇用で失業保険を貰えるようにするのは、保険会社のおすすめすることではないであろう。


  保険代理店の統廃合(企業イメージ) 

こうして代理店の人生を否めない非我方向や自殺にもって行くとして、契約者はどういう行動に出るのだろう。もともと契約者は、代理店の友人・縁故者が核になって、拡大してきたという問題がある。
 
かつて住友海上と訴訟に及んだ契約者が居て、その人と弁護士のバックアップに、私も身をすり減らして勝訴したことがあった。(その判決文を保険手続きのために、契約者宅に貰いに行った時、見た満月を歌ったのが、詩集所収の「中秋の名月に、叶う」だった。)しかし結果は保険会社同士が合併してしまい。いくつかの契約を私は失った。あのひどい状況では止むを得ないことだった。
 
「雪印」・「日本ハム」は、現在も安値で買われないままに、スーパーに積まれている。最近、その政治姿勢が問われてかと思ったら、野球の1リーグ制の問題で読売新聞の不買運動が起きているという。
(私の父も元読売新聞社員、喧嘩してから販売店をしていて、父の早世後は私も新聞販売店を経営して大学・大学院に行った。だからよく知っている。渡辺オーナーも販売局の出身だろう。そんなことでは動かされない。それに読売コンツェルンは巨人ほかのアミューズメント・広告関係で得た資金が、新聞販売に流れ込んでいる体制で、そちらの方を不買にしないと効果はまったく無いであろう。)
 
傍論に流れたが、今回の三井住友海上の話も企業イメージは一体どうなるのか、先輩のT海上というのがあって、企業成績は低下しているし、リストラ効果で有能な人間が減り、事故処理体制は私たちが連絡しても、何を言っているのか、話にもならない。

2004/7/25(sun)
 保険代理店の統廃合(プライドの問題) 

今日は昼下がり、年来の顧客がわざわざ私の自宅の近くまで、継続の手続きに来てくれるというので、近くの喫茶店に入り、長い間、話をしていた。
 
自動車保険の説明と手続きのあとは、保険業界の行く末とか、詩の話をしたり、水島さんの「今帰仁に泣く」を見せて、読み方を説明したりした。その内に最近は自転車に凝っているそうで、自動車保険の特約で持てる自転車の事故の説明をしておいた。興味深く、聞いて貰った。
 
通販は大きな説明書を送ってくるそうだが、関心を持って聞いてもらう、こういう真似はまずできないだろう。医師が患者の知識の程度に合わせて、病状を説明するように、相手の理解度を長年の付き合いの中で押し計り、問診して必要な分だけの文章で話す。ある意味通販や会社組織的な販売体制は、人間の理解力の限界を超えた要求を顧客に押し付け、「自己責任の原則」を貫徹しているのだ。結果的には、保険料を「集金」しているだけではないか。
 
お客さんと別れてから、洛西ニュータウンの並木道の樹蔭に入るとき、現下の情勢に気がつくと、夏の炎天の暑さの中で一瞬、寒気が走った。普段は低い私の血圧が高くなっていたのだろうか。手数料・統廃合、私たちはこれほどまでにプライド、或いは人間としての尊厳を傷つけられないといけないのかと、(少しだけ)思ったのだろうか。多分、そうだろう。(下記)
 
 
実際には7/24の事柄。このCGIの機能上、記載の順序を確保するため7/25付けにしてある。

2004/7/24(sat)
 保険代理店の統廃合 

うーん。こころ楽しまない。

祇園祭のあとに災厄がやってきました。
集中豪雨のように、梅雨の末期、一年でこのころ災厄・悪疫が流行るのに合わせて、日本国中の平穏を祈って祇園祭は8世紀に始まりましたが、32基の山・鉾では足りなかったみたいです。
 
平成13年頃から、急激に損害保険、特に自動車保険の保険料が下がるだけでなく、全国に10数万店(国民1千人若にひとり)と言われる、もうすでに過密状況の保険代理店の世界に、外資・通販の損保会社が参入するなか、代理店手数料が下がり始めました。夫々に事故時の良い相談役、時には主導的立場に立っていた人たちです。
 
保険料と手数料率の掛け合わせで、放置すれば、50万円の手数料が10万円に下がりますし、現在はもっと下がっています。
 
そこえ弱小代理店の統廃合の話題が、今月持ち上がりました。辞めれば、失業保険もなく、大量の熟年の、しかも事故処理・事務能力に優れた人々が社会に放り出されます。
 
そのうえ私は自分のことだけが考えられない性分、社会や災害・事故時の補償の問題に絡めて考えます。この国では代理店のように自由な意思を持てるひとが必要で、いくらやっても会社組織で、それに代われるはずもありません。(弁護士さんが個人なのと同じ。)事故のトラブル、ネットで検索するとしっかりした個人保険代理店が出てこないケースが多いようです。
 
一番いけないのは、保険会社に限らず、監督官庁も、あるいは社会全体がそうだけど、会社人間という、東西対立、バブルの時代、この日本と言う国が世界中から甘やかされていた時代の常識が罷り通っていること。会社人間の考えそうなことが優先して、正しいとされていることでしょう。
 
組織化・合理化・低価格路線が最高の至上命題で、保険改悪(「年金改悪」で「改革」を「改悪」と言いますが、数年前から私は「改悪」と言っている。)すればよいとか、もう馬鹿なことが・・・、とんでもない話だ。
 
手数料・統廃合、・・・。うーん。やっぱり精神的な問題としても私は受け容れられない。
ナチスに投降するみたいだ。


(キャフェ・京都、7月5日の書き込み参照。)

 ちなみに 

「レッド・オクトーバーを追え、The Hunt For Red October」井坂清さんが訳されています。
 
原作者はトム・クランシー。実はアメリカ・ボルチモアの保険屋さんであることは、あまり知られていない。アメリカの保険屋と言えば、優秀な学歴を持ち、頭脳明晰で、どんな困難にも立ち向かうヒーローというイメージが社会に定着しています。
無名時代、保険代理業をしながら、9年もかけてこの処女作を発表。発表後、一躍、ベストセラー作家となった。とか・・・
 
本人は政府寄りとも言われますが、ともあれこの処女作を見ると、退廃的・全体主義的な旧ソビエト体制に耐え切れず、新型巨大潜水艦、レッド・オクトーバーを乗っ取り、叡智を傾けて亡命してくる、エリートではあるが、優秀であるが故に冷遇された海軍士官たちと、普段は弱気なくせに命がけで、ソビエト全海軍全体から彼らを救おうとするCIAの分析官の活躍を縦横に描いています。
 
映画では力強い男女のコーラスが、頌歌(ショウカ、賛歌)のように印象的でした・・・


訂正

「ソビエト全海軍全体から」
        ⇒「ソビエト全海軍から」

2004/7/17(sat)
 祇園祭の宵宮とビールの苦い味 

これを打ち込んでいるころ、巡行も終わり、疫神の宿った山・鉾は、今頃急いで片付けられているでしょう。疫神たちは斯くして封じられるのです。今年は宵々宮に行ってきました。
 
暑い夕方、ビルの谷間に風も吹かず、駒方提灯に仕組まれた白熱電球のオレンジ色の光が、そして一時神々の座所となる山鉾に灯される蝋燭の光が照り、自動車を締め出す6時、交通規制の開始とともにその世界を一変させます。
 
全国から集まったであろう多くの屋台が、四条通りや烏丸通りの大路はもとより、小路に至るまで、溢れるように一斉に焼き物を始め、烏賊や焼きそば、焼き鳥、駆使焼肉、飴林檎などが強い匂いを放ち出し始めます。その屋台の背後では若い十代のグループが、一部はもったい無くも浴衣姿のまま、直接歩道に座り込んで、飲食とともにしゃべりあっています。
 
人の姿は今年も多彩で、観光客、普段は無趣味としか思えない中年男性の二人連れ、2、3人の子供を連れた若い母親、父親の居る家族、浴衣を着た外国人。うす化粧に頬を照り輝かせ、美しい盛り、芳しいばかりの若い浴衣の女性が、未来の主人であろう若い男性の手を引いて、積極的に32基もある山鉾を巡っていきます。ところどころに芸能人たちも見かけられます。
 
こんな人々の姿や山鉾を、どちらかと言えば、高級なカメラと三脚を持った熟年の男性たちが、写真を撮りまくって居ます。そのほか山鉾の真下で、人並みの渋滞を招く携帯電話のカメラ撮影、警察が「危険です。止まるないで、止まるないで。」と呼びかけ、今年はよく統制が取れていました。人ごみの間を抜けていく報道陣たち。
 
祇園祭の奉納に含まれる「芸能」、棒振りや子供たちの演技などが、巡行の本番のための練習も兼ねて、あるいは山鉾の順序の争いが生じないようにする、クジ改めの儀式の練習が、そこここで繰り広げられ、さらに人々が輪を造り、群れます。
 
音といえば「コンコンチキチン、コンチキチン」のほかに「よーいとせ」のかけ声、突然上がる若い男の子の奇声、女性たちの笑い声、「こちらは五条警察署です。付近は混雑してきました。すり・置き引きなどにご注意ください。」という四条烏丸交差点の南西角の臨時交番からアナウンスがビル街にこだまします。消防署も警察も総出で、各街角で歩く人の流れを規制しています。体にロープを巻きつけて、交通整理をしていた、太った警察官が印象に残った。暑そうに大汗をかき、それでもうれしそうなおまわりさんだった。
 
これら、いくつもの、
そういくつもの思い出たちが、
この蒸し風呂のような四条烏丸を中心にした
1キロほどの範囲を闊歩しています。
そしてあとにも忘れられることはありません。
この水を浴びたような汗も、
ある種の禊(ミソギ)のような気がしてきます。
 
私はと言えば、大きなカップで生ビールと烏賊焼きを片手に、四条烏丸交差点の生垣にしゃがみ込み、街行く人々を眺めていた。この幸福感に酔いしれ、ビールに酔いしれ、祭りを味わっていました。
 
強い烏賊焼きの味を舌に残さないように、最後まで残していた一口のビールを煽り、そうして歯を漱いだ舌にビールの苦さをかみ締めながら、今年は屏風祭りを中心にまわりました。
 
茶席を設けている店屋、玄関だけに屏風を飾る家、中まで町家の造りを見せる家、まるで博物館のように入場料を取る家などがあります。街角の神社では、神主や神女さんが総出で町の人や子供たちともに、ご身体の像や絵を飾り、肌と肌が触れるほとの混み合いでお参りをさせている。
 
町家(チョウイエ)の町会所はそれぞれの厄除けの粽、手ぬぐいなどを売っている。「厄除けのお守りはどうどすか、…蝋燭を立っしゃりませ…。」決められた歌詞を歌うように売り込んでいく子供たちの声がします。母親であろう人が子供たちにうちわで風を送っていました。
  
しばらく廻るとそれが織物問屋の町で、自分たちの商売の宣伝でもあったりするのが解ります。
 
京都のしたたかさ、商売とは言え、ここまでも長く続けば、それは「伝統」なのです。人と人とのつながりができれば、たとえそれが直接的な利益を上げなくても、いつまでも大事にしてくれる。先日自宅の仏壇の扉の金具が脱落した、30年も前に買った仏壇屋さんは私の名前を覚えていてくれ、僅かに数千円の修理に自宅まで来てくれた。よくある営業のばか者はいない。私が詩を書いていると言うと、不動産屋さんは漢詩をしていると言っていた。知り合いの米屋さんは社交ダンスの名手である。よく転勤してきた大企業の営業課長が、京都では成績を上げられずに、つまはじきにされる。何の芸も持ってはいずに、それが顔に表れたまま、仕事をしていたのです。
 
京都とはそういうところなのです。秩序と伝統を忘れては京都は成り立たないのです。

訂正

3段目、「駆使焼肉」⇒「串焼肉」

2004/7/15(thu)
 祇園祭の浴衣姿 

夕方、と言っても、もう7時過ぎ、私は帰路、京都市右京区の八条通から桂大橋、
(「大橋」と言うが、国道9号線(五条通)の一本、南の橋、旧山陰街道)で幅の広く、京の条理の外を蛇行している桂川を渡り、桂離宮の裏手に出ました。
 
右京区内、そしてこの橋の東詰、西詰のたもとに目立つもの、派手やかな浴衣姿です。大阪は「食い倒れ」、京都は「着倒れ」というほど、衣装に凝ります。着こなしも見事で、まるで映画を見ているよう。金魚が美しいもののたとえであれば、そのようです。若い女性たちは可愛くもあり、祇園祭に溶け込んでいくのです。
 
祇園祭に参加するのは男性。山・鉾は女人禁制ですが、−見学はさせてもらえる。−見に行くのは女性。そして粽やお札などの販売、その他の裏方の仕事は女性の務めです。京都は身分制社会ですが、それが差別的でない限りは、一種の安心感と秩序をもたらしています。人々はより大きな存在に繋がれている。祇園祭の「伝統」です。
 
確かに祇園信仰という、世界の宗教観に比べれば、はるかに自由な、拘束のない宗教に根拠を置いてはいるのですが、人々のすべてが「自分の為に」祭りの輪に抱擁されて、くるまれ、四条烏丸の周囲に何十万と集います。
 
蒸し風呂と祇園囃子の騒音のなか、汗をかきながら、心をときめかせ、幸福と言えば、幸福なのでしょう。
京都の町は、17日の巡行のイブの前3日間、
宵山の日々です。
 
京都新聞のご紹介はここ

2004/7/10(sat)
 梅雨成らず、炎暑に長ける、稲穂かな 

今日は朝方に驟雨があり、あとはひたすらに暑く、暑く蒸れる日でした。何か変化があり、子供の頃のような、夏の秩序ある日常が、陽炎、陽の揺らぎの向こうに、薄らいでいくようです。先ほどは稲光、わずかに夕立、祇園囃子を待つことなく、夏に入ります。これは不正な夏、こんな年はありません。

2004/7/6(tue)
 「リーブル京都 向日町店」での詩集販売 

下記「祇園祭」が入った私の詩集「夜桜は散り落ちて」を置いて貰っている「リーブル京都 向日町店」さんでの販売は今月28日頃までとなりました。再掲します。

京都府向日市上植野町馬立19−2
電話075−924−3211(府道樫原高槻線、向日町郵便局南すぐ、長岡京市一文橋交差点北500m)

2004/7/1(thu)
 祗園祭が今日から始まり、  

一ヶ月間続きます。それに合せて、詩集「夜桜は散り落ちて」所収の詩、「祗園祭」を「詩作品」のところにアップしてもらいました。ご一覧ください。
 
この詩の作者による説明は、詩集のなかに詳細に記述しておきましたが、華麗な和歌に喩えた祗園祭が、古典的な「和歌」という詩の形がそうであるように、実は背後に京都の過酷な「現実」を隠していることから、この詩は始まります。
 
かつて私にとっては、重大な病気から恢復していくとき、再度社会に立ち向かわせてくれる機会になったのは、この祭りの宵宮の熱気でした。却って祇園祭は厄除けの祈りなのです。祭りと共にその熱い気概は、京都の街中を吹き抜けます。さらにその起源に於いては、日本全国の悪疫退散の祈りでもありました。
 
すでに先月6月6日に書いていますが、それもご参照下さい。(下のbackから戻ります。)
具体的には詩を見ていただくことにして、祗園祭に聞こえる音を書き出して見ましょう。
 
「よーいとせ!」コンチキチン
「打ーちましょ!」コンチキチン
「祝おうて、三度!」コンチキチン
「もおー、一度!」コンチキチン
「えんやらやー!」(掛け声)

 
こんな感じでしょうか?正確ではありません。
注目すべきは、掛け声でさえも古い都言葉だということです。
 
「よーいとせ!」は「よいよい」
「打ーちましょ!」は「打とうよ」
「祝おうて、三度!」は「お祝いだ、もう一度」
「えんやらやー!」は「どっこいしょ」
 
常々思います。
古語と言っても、書かれた言葉と話されていた言葉は同じとは限らない。身分によっても違う。案外歴史時代の、それも京都の町衆の言葉は、感覚としても、こんなのではなかったかと思います。
もっとも職業・身分・各町筋で京言葉は多様であったのでしょう。言葉は多様な生活感を背後に従えています。しかし祗園祭においてその多様さも、絶対的に、ひとつの「京都」ととして現れています。
私のように子供のときから京都に住んでいるだけで、「よそ者の」私をも取り込む、それこそ京都の
「伝統の巨大さ」なのです。



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