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日録、風のなかで話しましょう


2004年5月

2004/5/31(mon)
「日録」、最初の五月

なんとか、この日記Cgi、「日録、風のなかで話しましょう」も、最初の五月を終わろうとしています。
けっこうたくさんの方から掲示板、メールを通じて反響をいただきました。ありがとうございました。
作って頂いた清水鱗造さんにも改めて感謝申し上げます。
私もこの出来映えにたいへん満足しています。
来月からは画面が変わりますが、下の「BACK」をクリックすると前月の「日録」が読めます。

2004/5/30(sun)
波止場

灰皿町内、日記横町が南波止場5番地にでき、ペコさんも日記を始めました。これからも増えそうです。
そこで「波止場」と聞いて、防波堤の内側に港があるのに何故?と思って調べると、船を泊める意味の「はつ」から転じたとある。桟橋・突堤のようなものイメージだそうです。そういえば以前の地図にはそれらしきものがありました。地名の起こりでしょうか?笑
この日録と同じソフトで、少しずつ違う初動段階の日記Cgiを見てきましたが、実に夫々の人の個性が出ています。大変面白い状況になってきました。

2004/5/29(sat)
美人が夜中にひとりで食事

風邪で身体はダルい。そして今日は豚骨醤油味ラーメンにネギいれ放題を食べに行って、一日を終わらせようと思っていたが、コーヒーが無いのに気が付きました。
不便な京都郊外では、この時間(午後8時半)からは遅くまでやっているスーパーに行くしかありません。かくて惣菜売り場をうろつくことになり、何とか優雅な身のこなしで、閉店間際にレジに駆け込むことになるでしょう。
しかしこれで思い出すのは、会社の女性達、もういい歳のひとが多いけど、きっちり食事は作っている。
「だって冨澤さん、こんな美人が夜中にひとりで食事に出かけていたら、変でしょ。」
その次の「危ない。」は聞こ得ないふりをしています。「美人」はともかく、女の人がなぜ夜に一人で食事に来てるのを見かけないのか、これは確かに疑問です。
いまだに付き合ってもらえない、こちらもその気がない。これも不思議です。

タグのてすと

これも不思議です。

2004/5/27(thu)
風薫る5月

京都はこの二日、特に昨日は雲ひとつなく快晴でした。が、
実はこの一週間、風邪で病院に通院していました。まだ少し気管の炎症が治まらない。この爽やかな5月は同時に毎年風邪を一度は引く時期。若い頃に一度身体を壊してから、「一晩寝れば、元気。」と行かなくなりました。青春が陽気だとはよく言いますが、身体の不調とともに精神も弱弱しくなったり、良い考えも浮かびません。かくて掲示板やこの日録に馬鹿なことも書き綴る訳です。
「精神」というのも、脳という臓器の活動の所産、これは体液のバランスのなかに浮かぶもの、この現実を受け入れられない人が多いようです。しかし自然の細菌・ウィルスも含め、物質と交流して生きる地球生命体に避けがたい運命はかくもあるのです。
「風(≠風邪)薫る5月が、憂鬱の月」とは、未明のアレルギー反応の結果ではないでしょうか?
しかして「世の中」という「他人の論理」が課す義務とは体液のバランスの上には「載って」いない「哲学」で記述されています。これは特筆すべきことです。
さて気持ちの充実感もなく、偏頭痛を抱えて「世の中」という「義務」を果たしに、これから出かけます。辛い!

 
 
ちなみにこの「日録、風のなかで話しましょう」は今月からスタートですが、言葉が言い当てているわけではありません。念のため。
風はさまざまな事柄の象徴です。「自由
とか「文化の息吹き」、「吹きさらし」、あれっ!

2004/5/23(sun)
オシァン

数日前に詩の新しいフォルダに長編詩を組みこんで貰いましたが、少ないながらもう反応があるようです。それほど出来がよいと思っていないもので意外です。
長編詩と言えば、私が十代の頃、読書の出発点のひとつに「オシァン」(3世紀に成立したアイルランド、ケルト民族の古歌)があります。日本の「平家物語」や世界の古代文学と同じく、(筆記もされてはいますが、)元々愛誦された文学です。物語と詩と音楽が一体となっていることが特徴でしょう。短い詩の言葉と違い、大仰な修飾やストーリーの記述が私の長編詩にも見られます。
私は専門ではありませんが、一般的に言われている範囲で解説すると、「オシァン」はかつて栄えた王族の生き残りの王子、オシァンがその家の歴史を古代人のとらわれない自然描写を比喩にして、水々しく語った詩と言われます。その子がオスカルです。お気づきのように、近世のロマン主義の運動に大きな影響を与えました。私もゲーテやシラーの詩の派手な表現に似たものを感じたものでした。
今回の「古い舗道の叙事詩−交響曲の夜−」は、数年前にふと思い立ち、こんな文学のスタイルを知っていたせいか、書き出すと止まらなくなって、数日で草稿を書きあげたものです。

2004/5/22(sat)
自動車事故の処理

ここ数日、事故の処理ばかりしてました。昔のように簡単に片がつかないケースが多いようです。

長い間保険代理店をしていると、火災事故や交通事故で、死亡事故・高度の後遺障害の残る事故など、ひととおり経験します。弁護士同士で話し合う事案、裁判・調停などの事案もありました。

自動車事故の場合、最近の傾向としては、ごく少額の損害でも難航して、果ては弁護士事案になる傾向する場合もあります。ところが弁護士さんの場合、相談だけでも数万円、簡単な調停をしてもらう場合でも、最低で着手金10万円と報償金10万円、あと費用は実費です。(被害者側が過失の無いことを主張する場合は、賠償責任保険で弁護士を付けてもらえません。)

背景には当然不況もありますし、車の構造から来る修理費用の高騰、自動車保険の契約条件が細分化して、比較的若いひと(例えば親が35歳以上補償で契約している場合、子供の年齢分の保険料が払えない。)、一部の保険では高齢者も、運転者の年齢条件上は保険料が高いなどの理由があります。実際加害者側にもかかわらず、車両保険も付けずに少額を回収しようとして、理由もなしに相手保険会社や被害者に要求を突きつける場合もあります。

それで現在保険の被害対策としては、 人身傷害弁護士費用特約などがあります。

前者は相手の車の無保険や契約者側の過失が高く、身体的損害の補償が十分でない場合、相手への求償権を保険会社が取得する代わりに、自分の保険会社からほぼ自賠責基準の補償が得られるシステムです。

物に関しては車両保険です。上のようなケース(実は少額・物損事故が交通事故の大半を占めます。)では弁護士費用特約が有効です。私が委託契約をしている保険会社では、会社が認めた場合、300万円まで年間2800円の保険料で自動車保険に付帯できます。日常生活賠償特約と併せると、日常生活の事故でも弁護士に相談・処理してもらえます。

なぜ自動車保険がそこまでやるかと言えば、自動車の事故でも、自動車保険ではカバーできない事故があります。一番大きいのは電車などの妨害事故で、電車の停止システムが働き、対物事故にならなかった場合、かつ日常生活で自動車を運転していた場合(仕事上は仕事用の保険があります。)、10分間当たり数十万円のダイヤを乱したことによる損害賠償を請求される場合があります。

こんな事故でなくても、アメリカ人の知人が最近の日本人の賠償意識にびっくりしている状況なので、これはいい話だと思います。

要は自動車など「許された危険」は、すべての人が完全な安全運転をしうる何の保障もありません。社会的にいずれは自分に返ってくるもので、リスクの少ない中年期で整備の整った車に乗っていて、保険料を安くしても、また別の形で自己防衛が必要だということです。「前年同条件」のまま自動車保険の継続を続けて、新しい特約を取り入れないと、重大な事態になります。この点はご自分の保険屋さんにご相談されたほうが良いでしょう。

しかし日常生活賠償に相当の特約は火災保険・傷害保険にもありますが、人身傷害は自動車を保有している人しか入れません。公共的に必要な保険が事実上は民営化されているとも言えます。昔は保険料を譲り合い、誰でもが自動車保険に入れたのですが、これが保険の自由化の現状だと言うことです。

以前にも掲示板で紹介しましたが、日本損害保険協会のホームページを紹介しておきます。

訂正、3段目

自動車事故の場合、最近の…、果ては弁護士事案になる傾向する場合もあります。
⇒「果ては弁護士事案になる場合もあります。」

*

2004/5/20(thu)
交通事故と地震

今朝は事故の連絡でまたまた叩き起こされて、昼前に起きました。ふあー、まだ寝たりないです。
この時期は事故が、なぜか多いです。保険屋には辛い時期。春の憂鬱でしょうか?気をつけてください。

昨夜、事故現場から帰ると、地震。ディスプレイが踊っていました。日本気象協会の地震情報で確認。あとゼンリンの電子地図帳(交通事故の受付のとき、全国の道路の形が判ります。)で北緯・東経を調べ、京都・滋賀県境、比叡山南方・左大文字(東山)の奥山、釈迦が岳、山頂付近と確認。
こんなこともできます。インターネットは、個人が放送局を持てるだけでなくて、情報収集能力も高めますね。

震源もこうして、すぐわかります。

訂正

「釈迦が岳」ではなく、「如意が岳」でした。申し訳ありません。

2004/5/19(wed)
日録の公開

今日から本格的にこの日録を公開して見ていただきます。下記の作成段階の記事も見てください。
 
清水さん、このCGIの作成、ありがとうございました。
 
さんざん考えた末に、この日付の入ったノートのタイトルは「日録、風のなかで話しましょう」とします。
というのは「風」は詩の世界では自由の象徴、変化自在なもの、快い微風・残酷な暴風、便り、風情・風習など良い意味、悪い意味あるいは文化的、情緒的に深い意味に使います。
そのような多様な内容のなかで、私が目にするもの・聞くものをまた私という変数を加えて、皆さんにお話する意味もあります。当然ながら私ごときが何を言おうと、世の中は代わりません。「どうぞ、風のように私の言葉はお聞き流しにして下さい。」という謙遜の優雅さも籠められています。
 
上のシンボルに選んだ、遠州灘に打ち上げられていた廃舟の写真は、私が1984年頃、自分で撮ったものです。より大きい画像としては灰皿町アルバム・掲示板に投稿されています。この掲示板は、日々の投稿に従いファイルが移動しますが、ここのところはファイルNo.28あたりにあります。No.336の画像です。

2004/5/18(tue)
「ノート」の名前

この「ノート」に清水さんから名前をつけるよういわれてますけど、これが思いつかない。灰皿町のほか皆さんのように洒落たもの、さっぱりとしたものにしたいけど出てこない。
「日録、友よ来たれ!」ヘミングウェイじゃありません。
「西山亭」どっかの料亭?
「レッツ・サンシャイン・イン」、著作権料、取られそう。大体が、日録の名前は出尽くしているんですね。
よし!若い頃からの私のモットー!
「エレガンス・エンド・プライド」・・・・・、これで何度も女性に振られているし、どうしよう。

2004/5/17(mon)
日録の開始

日録を作ってもらいました。
清水さん、ありがとうございます。
今後はこちらのほうも見てください。よろしくお願いします。

さて・・・、まだ何も決めていないので、第一声を入れておきます。

タグのチェックです。

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