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日録、風のなかで話しましょう


2005年2月

2005/2/25(fri)
2月の締め

書かないけない、書かないけないと思いながら、ついに今月はもう終わりなのに、たった3件の書き込み。
 
ネタが無いわけでもないのですが、こういうときには、なぜ書いていないのかが話題にできます(^^)。実は下にあるように仕事が変わり、時間的拘束という問題がある程度出てきているのです。以前の保険代理店は営業活動よりも、やっていることは弁護士さんや会計士さんなどの法律事務と内容が変わらないわけで、時間的に拘束もされず、むしろ瞬間的な判断力が要求されます。事務処理はコンピュータの前で済みます。個性的であることが求められます。
 
それがいまではうどん店に出入りしたり、料亭の厨房で、深夜まで会計処理や打ち合わせをしていることもあります。長い時間の懸かる銀行廻りとか。以前のようには行かない。個性ばかりではすまない。忙しさの質が変わりました。京都のときのように個性的なのは、そうですね、通っているコンビニの女の子が都言葉を話し始めたというところでしょうか(^^)。静岡弁がうつらないで、都言葉を広めている。冒頭の「書かな、」を見てください。
 
でもこんな忙しいなかで、徳弘さんの授賞式にも行ったし、報告記も書いた。もうひとつ大きなイベントは、ホセ・フェリシアーノのサイト改訂を同日に報告できたことなど、面白い月でもありました。−本来2月は寒いだけで、話題の少ない月かも知れません。−おかげで灰皿町のゲストブックは、静かなものでしょう(^^)。

2005/2/8(tue)
あぁー、事故処理がしたい

なんて、思ってはいけない。(もう一度、)思ってはいけない。
 
と言い聞かせないといけないほど、1月半前までの保険代理店に過剰適応していたんですね。困ったことです。
 
このごろ、いろいろと思い出します。仕事を始めて保険会社の嘱託のような社員になり、基礎的な数の契約者を獲得する、併せて保険知識の難しい資格を取っていく。(この時点で、私の頃で千人にひとりしか残らない。本当によく残ったと思うけど、現在は殆ど残る可能性はないらしいです。初任給○○万円とか募集していますけど、数ヶ月で能率給に変わりますから注意です。)
 
初めのうちは全然契約が取れなくて、バイクの駐輪場を周っては自賠責のステッカーを確認していました。
 
「へぇー、みなさん真面目に強制保険をお付けですね。」とか、ぼやきながら長い時間を費やして行きます。500台くらい周ると、1台か2台は自賠責の切れたステッカーが貼ってあります。見つけたとたん、がらんと顔が引きつって、
 
「いかんなー。うむ、・・・これ公道に出すだけで、罰金!」とか、呟きながらチラシを貼り付けて、事務所に帰って行く。その日の営業記録をつけながら、電話のかかって来るのを待つ。まずかかって来ないけど、それで一日仕事をした気持ちになり、少しだけ心を慰められて、自宅に帰る。
 
仕事には事故、もとえ!自己満足が必要だけど、こんなささやかな時代もあった。それに比べて、辞める寸前数ヶ月の忙しかったこと、もう勢いが止まらなくて、「辞める。」と言うのに契約が申し込まれた。表明前も入れると、辞める前3ヶ月で数百万円の純新規契約があった、この過当競争の時代では特筆すべきことです。
 
長年の契約者のみなさんには、今も感謝しています。しかし実際には私の手数料は前年よりも減った。手数料率と保険料が下がるからですが、これは甚だしくプライドを傷つけられることです。このまえ青色申告を纏めていても、情けない思いをしました。昔は望んでも望めなかった新規契約が、頼まれて契約して貰える地位になりながら、収入が減る、この「パラドックス、逆説」には、いまもまだ蒼ざめるものがあります。

2005/2/3(thu)
 寒いですね。

京都から浜松に越してきて、これだけ身に沁む寒さにみまわれるとは。
重症の風邪のあとだからかも知れません。少し痩せて、いままた食欲が出てきたところ。
みなさま、お大事に。
 
2月はむかし「風の宿り」という題で詩を書き、詩集にも収めました。
2月!春はまだき、全ての生き物にとって「風の在りか」が問題です。
そろそろ身体は動き出すのに、春が来ることに疑問を抱き始めるころでもあります。
 



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