浜松の海辺
ということで(下記。)、やっと引越しの後片付けも終わり、今日は大量の詰め物などのゴミを浜松市の清掃局にもって行きました。(ダンボールや引越しにともなう廃棄物はサカイ引越しセンター。)防砂林の広大な松原と田畑のなか。その向こうに防潮堤があります。 そして、砂丘の向こうに、海です! 夕方だったので、水平線の上に一列に流れている雲間へと、赤い朱色の陽の入りを見、ついでに黄色の満月が水平線から昇るのを、激しく寄せる波の音を聞きながら見ました。砂丘の砂に足を取られるのを、どういうわけか自家用車に積んでいた杖をたよりに、歩いてみました。 騒いでいた女子学生のグループが4人だけ、声を懸けたそうにしていました。ひとりだけが犠牲になっているというなら、写真のシャッターぐらいなら押してあげるのに。あるいはひとりで海に向かっていく、杖をついたおじさんを心配してくれたのかも知れません。笑。 気がついてみると、この数ヶ月、廃業の決心、計画、引継ぎ、引越しと多々神経と肉体をすり減らしていたのが、寒い冬の、それも太平洋の強い潮風に吹かれて、少しすっきりとしました。海はいいです。特に私のような、人生の大半を京都盆地というくぼ地で過ごしてきたものには、格別です。 こんな広々とした光景が、自宅から10分間も車を走らせれば、行けるのは夢のようです。また何度でも、来ましょう。いずれこの辺りに転居したりして。良い「草枕」でしたね。 それにしてもどうして、陽や月は山から昇り、峰に(あるいはビルの谷間に)沈むと大半の日本に住んでいるひとが思っているのは、どういうことでしょうか?有数の海洋国と言われる日本に住んでいて、不思議に思います。(あるいは今日はじめて、気がついたということでしょうか。) 【掲示板に書いたものを、加筆・再掲】
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