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日録、風のなかで話しましょう


2004年11月

2004/11/29(mon)
 今年もあと一月

さきほど、テレビの美人アナウンサーが言っていました。
 
「今年もあと一月になりましたが、・・・」まあこの種の決まりセリフ、さきを争うように、報道のこの時期「季語」になります。
 
これですね。今年十分仕事のできなかったひとや、貧乏なひとにはどう響くでしょうか?それに受験生、この言葉を聞いただけで、精神に変調を来たすのではないでしょうか?
 
さらに来月の中頃は、
「いよいよ押し詰まってきましたが、・・・」
 
もう私など、そのたびに「バカヤロウ!」、もう一度「バカヤロウ!」と叫びます。
 
だいたい年が越したとか言って、前後10日ほども経済を停滞させて、そのときの買い物の余波で1月・2月の不景気を招いている。いったい何か来年は良いことがあるという補償がどこにあるのか?何か、変だー!
 
こんなばかばかしいことを有史以来、もしかするとそれ以前から、人間は毎年やってきている。発情期を忘れて、日常にピリオドが打てなくなっているのではないか。間違っているだろうけど、せいぜいそういう理由でしょう。
 
本当に笑い話。(詩作品「風の宿り」、「晩秋を知るもの」参照。)

2004/11/4(thu)
 秋色が満ちてきた 

街の中、寒暖の激しい京都盆地のいたるところで、秋色が満ちてきました。
 
木が木として生まれた運命のままに、今年の活動に満ち足りたとき、次の春の巡り合わせを信じて、そしてそのことを「知る」中枢神経も持たずに、身体を変化させていく。もっとも少しばかりは環境の変化に合わせて、遺伝子を変えるかも知れない。
 
こんなことを書くのは、尋常ではない熱射に襲われた今年の夏のせいだろうか?生命は苦しげに生を謳歌したか?それがつい昨日のこと、あるいはその夏が一週間まえのことに思えるほど、今年の台風・地震の災害が夏に続いた。想い、悩みして気がつけば秋、暮れる季節。すでに春の同じ温度の時点もまたたく間に過ぎてしまった。
 
地球の惑星としての特殊な地軸の傾きが為す、生命への大きな影響にもかかわらず、そして人間としての特殊な種が、日々も同じことの繰り返しであって欲しいと思う願いに引きずられた日常的な生活思想も、それをおかしなものと思う。
 
自然の摂理に反する限りは悪しき権力意思であろうか。しかしそう考えなければひとは生きていけない。不思議と言えば、不思議でもある。


 

 それでこれだけは書いておかないといけない。

アメリカのブッシュ大統領が再選された。これに対して、特に日本をはじめアジアの国々、EUの知識人の多くは、「ブッシュだけはごめんだ。」と考え、また昨日のCNNのゲストも「日本やヨーロッパで、ブッシュ大統領が言っていることは理解してもらいにくいだろう。」と印象的に話していた。
 
国際社会で一国の利益だけを考え、もちろんテロの存在には、見境もなく過酷なまでの鉄槌を食らわす。
 
かりにケリー候補が当選しても、他国の経済と社会に対するアメリカのこの一国主義がもたらしている強制的な混乱と、経済規模の格差からしてアメリカにだけ有利な状況に関しては変化がないだろう。あえて言えばケリー候補のほうが外交を展開するうえでは、国際世論の支持が受けやすく、また国際社会としては付き合いやすかったと思う。
 
選挙の結果を見れば、個人的な交友では好ましく陽気なアメリカ人には、やはり生活信条と常識として、自分たちの生活を国際水準に併せて妥協すること、自分たちの国内的な高い競争原理を国外にまで輸出しないよう配慮することを覚えさせないといけない。(どれもこれもエコノミックアニマルと言われた過去の日本の過ちと同じだ。)それには各国の実情をより広く深く知らせ、理解させないといけないだろう。もっとも半分に近いひとが、現状のアメリカの国際的な地位と信頼感に危惧を抱いた。これも今後の4年間のクビキとすべきことである。
 
国際政治のレベルではここ数日、各国の世論がブッシュ大統領が今後、国際協調に転換するか、あるいはより大国的な覇権を思うままにするか、ひたすら案じている。このこと自体が現在の国際情勢の根本的な欠陥なのだ。いかにして世界の指導者は、今後の4年間で経済と生産を安定し、政治的なアンバランスを制御可能な状況に持っていくかに全能力を傾ける必要があるだろう。しかしそれにしても、いまも聞いたブッシュの演説を見ていると、不安にもなる。どうであろうか。


2004/11/1(mon)
ご来場、ありがとうございます。

当面、忙しいので下記をごらんください。



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