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日録、風のなかで話しましょう


2004年10月

2004/10/25(mon)
 NHKアーカイブス、小椋佳さん 

いま随分古い、小椋佳さん、32歳のときのファーストステージを、NHKアーカイブスで放送していた。「さらば青春」、(一応、一回目の)アンコールで、印象に残っていた曲を聴きながら、私がこの最初の放映を見ていたことを思い出しました。
 
28年前、私が法律学の学生の頃、私は父の早逝で家業を切り盛りしつつ大学に通い、また無理を重ねて畑違いの哲学を独学していた頃で、奇妙に懐かしく感じた。思えばそれが若く陽気で、将来に何の不安も持たずに、私が居られた最後の時かも知れない。ほどなく私は生死を賭けた闘病生活に入った。それからは大事な「時間」を失くしてしまったかも知れない。
 
さっき現在のご本人がテレビに出演されていたが、お名前をもう一度私がはっきりと聞くのは、つい数年前、ING生命主催「愛と夢の童話コンテスト」で義妹の富久江が奨励賞を取ったとき、その審査委員長が小椋佳さんだった。若い頃は銀行員の仕事のせいか、お姿もこの放送以外には見てなかったが、現在は広範囲に活躍され、大きく変貌されているようだ。
 
下の川崎さんとの詩誌を通しての出会いも同じほど古い。去年は投稿をついに採っていただいた。実にある一定の長さを持つ時間とは、人と世界を変えるものです。

 
 
流星雨の降る夜、居眠りをしていた「ご主人」は急に訪問して来たタヌキに、願い事の星を集めに連れ出されます。星に願いをかける人がいるのなら、落ちてきたその星を拾い集めて「もちぬし」に配らないといけない。集め終わって、別れ際、タヌキは言います。
 
「かなわなかった夢やあこがれは、心の深いところに、しずかにしずかにしずんでいき、ちょっぴりせつない思い出というものになっていきます。でもね、ご主人、実際のところ、星がかがやきはじめるかどうかは、その人しだいなんです。」
 
(「星降る夜に」愛と夢の童話館5所収)


  作 冨澤富久江

2004/10/24(sun)
川崎洋さん、追悼

10月21日、川崎洋さんが逝去されました。いまだに信じられない話です。
 
もう25年ほど前、若い私が雑誌に投稿していると、新しい選者のなかにとても真摯に、投稿者の身になって評を書かれる方が居られました。その態度自体に若い私は深い感銘を受けました。投稿した詩を取ってもらえなくて、他人に対する評でも、投稿者が自分の詩に抱く切実さを理解してもらえるのは、うれしいことで、暖かさを感じました。その選者の方が、川崎洋さんでした。
 
これを長い間、私は忘れてはいなかった。5年ほど前、若いときから中断していた詩作を再開しようとして、偶然見つけた「詩の雑誌、ミッドナイト・プレス」、その詩の選者は、これまた偶然に川崎洋さん。思わず、あわてて詩を投稿しました。この出会いがなければ、私はここまで詩を書き、同社で詩集を出すまで続けられたかは分かりません。
 
昨年同社のライブで初めてご挨拶ができました。無理をして東京に行って、よかったと思います。しっかりここ数年の私の詩も読んでいただいていたと思います。
 
ライブの席上、第一声で川崎さんは「初めて会った気がしないような。」と、集まった人たちにおっしゃっていました。私のほうもその通りでした。また若いころの投稿の思い出も申し上げることができました。まさしく一期一会。
 
心からご冥福とお悔やみを申し上げたいと思います。


2004/10/17(sun)
 続き、山不作とクマ被害 

しかしそれにしても、クマ・タヌキ・イタチ・サル、いわゆる「山の者たち」は童話や伝説の世界では「山の仲間たち」であるし、場合によっては神々に関係付けられる。ケモノタチ、進化の面ではかなり近縁のものたちを選ぶところに、何気ない世界の理解の仕方があるように思われる。人間が自分たちに対して有害なものも、似た生命体として共存したいという気持ちには、平穏を望む素朴な「自然法」のようなものがあるのかも知れない。山で食えずに里に出るクマ・サル、ほかの動物も出てくるに違いない。悲しいことではある。

2004/10/16(sat)
 山不作 

京都の西山の麓はなだらかな平野で、水が丹波山系の丘から湧き立てきます。故に水利・日当たりが良く、実り多い台地で、各種の野菜、特に柿などの近郊作物の栽培が盛んです。
胡瓜・茄・茗荷・生姜などを、梅酢や酢酸発酵させた西山漬も作られています。糠が利用される前の、古い形態のお漬物で、実に爽やかです。
今日はもう刈り入れも終わり、電信柱も立っていないほど奥の、柿畑の、すぐそばは山の森の所まで出かけてきました。自宅から2キロほど。天気も良くて、気持ちの良い一日でした。狐と鼬がいました。
しかしあとで直販売の柿を買うとき、農家のひとに聞くと、今年、山不作(というそうで)はひどいもので、木の実などの食べ物がなく、猿が出てしようがないそうです。去年は猪に突かれて、怪我をしたひとが出ましたし、もうクマも出そうです。山中とは逆に柿も、猛暑でたわわに豊作です。
夜中に自宅から外出するのが、怖くなりました。


2004/10/14(thu)
 秋は透明、冷気 

なんでしょうね。この冷気。
少なくとも一週間前はクーラーを点けていました。
今日は寒くて、夕方、初めて上着を被ったまま外出しました。半袖はまだまだ仕舞わないでおきましょうか。家の中ではこのほうが動きやすいです。
でも、秋には落ちて行く。空気は透明です。

2004/10/5(tue)
 「風の街」

現在、灰皿町では「風の街」と題して、書き込みの訂正・画像アップの可能なボードの実験・テスト中です。(それで下の詩集の画像も載せられるので、テストしました。)
この日録のテーマにしている、うえの「遠州灘の廃舟」の画像をデスクトップの壁紙として利用できるようにしてみました。ご案内しておきます。

また新画面もあります。



2004/10/1(fri)
 「中秋の名月に、叶う」 

 
・・・
 
希(ノゾ)み掛けて生き、長い長い歳月を
手繰(タグ)り、疲労の果てに
視界が開(ア)けて見れば、我らの住まう
この外輪山の谷筋のうえ
―そうなのだ
 苦しみなどは何処にでもある―
実は月光は野辺に隈(クマ)無く射していたのだ
 
無音のままに、この世に
つまりは当然のように
どれほどのことも無く
 
 
詩集「夜桜は散り落ちて」所収、部分






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