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日録、風のなかで話しましょう


2005年1月

2005/1/29(sat)
カメラ付き携帯



カメラ付き携帯に機種変更。とりあえず、実験です。写真を接写しましたが、よくないですね。どこのお兄さんでしょう?

2005/1/27(thu)
谷口謙さん

今日届いた詩学を、一部読了。
 
森哲也さんが、谷口謙さんの監察医として、交通事故死の家族に事情を説明する詩を紹介されていた。今回の詩集を全部読んでいないので、批評を書くわけに行かないけれど、引用された分量だけで、非常に感銘を受けた。
 
私自身が交通事故を扱う保険代理店を、北西京都と京都南部とで、かなり離れてはいるが、交差しうる仕事をしていた。私の主治医もお名前はご存じでいたほど、谷口先生は、蕪村研究とともに京都では知られた方です。幸いにこの17年間に、私の契約者ないしは自己の相手方は谷口先生のお世話にはならなかったが、おひとりの顧客はもう少し西方なら先生のお世話になっていた。残念にもお亡くなりなっている。
 
死亡事故・重症・後遺障害の残る事故の悲惨さ、特に劇的に破壊された車の査定など、谷口さんの書かれている状況を洞察されるものにはこと欠かず私も対面してきた。そしてその後の事故処理の陰鬱さ、何かを求めてもう取り返しもつかない、身体の疵と、あるいは加害者としての罪を逃れるかのように毎日か数日置きにかかってくる電話。(たまには殴り飛ばしたくなるほど、横柄な態度を取る加害者も、契約者・相手方を通じて、もちろん居る。)
 
問題は詩の話なのだが、私自身の体験を通じて、谷口さんがこのような詩を書かれることには、社会で自分が見た事実から書く以外に一種の使命感のようなものはないだろうか、誰かがこれをしなければならないという自負・あるいは生きがいのようなものはないだろうか。あるいは一般に読者(殆どが詩人であろうが、)や評論家はこのことを看過していないかという懸念も生じてくる。
 
谷口さんには面識もなく、勝手なことを書いています。もし見られるなら、違う点はお許しください。文責は冨澤にあります。

2005/1/25(tue)
まだ保険屋が抜けない。

かなり忙しくて、また仕事も覚えている最中なので、なかなか、この日録もお留守にしていました。
 
とりあえず所感というところで、環境の変化というものが、これほども身体に負担のあるものかと痛感しました。本当はまだもうひとつ本復していない風邪、私には珍しくも寝込んだ風邪でした。一度身体を壊しているから、平均よりは免疫力は弱いほうで、もともと風邪はよく引くのですが、長引くだけで重症化しないのが特徴です。それほどまで以前の保険代理店は緊張が大きかったかと思います。(これについては、先月の日録。そして縷々聞く話、特に国政に参画している人たちの認識度の低さには、嘆きを禁じえません。)
 
そろそろ何か緊張感が欲しくなってきている。以前も書いた通り、別に事故が好きということではありませんが。困ったものです。

2005/1/10(mon)
普通の人間に戻る?

ということが、私のなかで現実に起っているようです。
 
保険代理店は世間の人には、どのように映っているのかを考えると、そのひとの会った代理店に応じて、さまざまでしょう。営業本位のセールスマンから、弁護士みたいな相談役、あるいは逆に頼りない保険料の集金人。まあ、けしからん人たちも代理店のなかにはいる、世間一般の認識もそれほど高くないし、ただ共通点と言えば、一般に言われるそのどれでもないような気がする。
 
自由業、自営業、営業本位と言っても、それは直販社員に近いほど保険会社に密着しているひと以外は、かなり独立心が強い。大体から世間の保険代理店に求める「補償」という店では、顧客本位に考えて仕事をすると、どうしても保険会社から離れてしまう。それで仲間内での仲は、それが他社に所属していても、結構良いのです。これは特筆しておかないと。
 
それで私自身がいまひしひしと考えると、かなり強い責任感に支配されていたな、という印象です。夜、寝るとき、朝、起きるときの雰囲気が違う。この仕事からの開放感は何だろうと思います。四六時中、何か不定のものに身構えていたような気がします。仕事が頭から離れないというのでもない。
 
ただ事故のときには、消防士や警察官などとは違う意味で、この非常時に対応しないといけない、特に初期の活動では民事的には自分しか、契約者・相手方とも指導するひとがいない状態になる。この部分が、一番難しいわけで、一例を挙げれば、事故まではお互い未知の人たちが、初めて権利の得喪の矢面に介するわけです。それを統御して、解決への道筋に載せるわけです。
 
最低限、一応プロと云われる保険代理店はこのことが(どれほど熱心かはさまざまですが)解っていると思う。これが日々の片時も忘れない緊張感の一部になっていて、ほかの仕事には無い部分であったとも思う。
 
それがいま私には消えてきた。初めて物損事故の事故受付をして、持っているペンの先が震えて以来、17年保ち続けた緊張感を失いつつあります。ふつうのおっさんに戻るか、あるいはこれで、影響されていたであろう詩が書き続けられるか、反省熟慮していかないといけないかも知れない。

2005/1/5(wed)
文化的ショック

いろいろ言葉のほかにも、あっと思うほどの違いがありますね。(まあ、言葉は私の方が性格が強いので、影響をこちらが与えることになりますが。)
 
卵焼きに砂糖を入れる?京都は「出し巻き」の本場です。「お出汁」だけで甘さを出します。砂糖は本来果実の味で、それ自体が卵の味を消すと思うのですが。7−11のおでん!何でカラシの代わりに味噌が出てくるの!?さすがですね。全体に食パンまで砂糖の甘さが強そうです。弟のうどん店も含めて、うどんが硬い。逆にご飯はやわらかめ。これからこの手の問題にはいくらでも出遭うことになるでしょう。
 
いろいろあります。関西みたいに「餃子の王将」・「吉野家」・「スーパーのイズミヤ」がないか、あっても少ない。「マクド」が「マック」。
 
とにかく喧嘩だけはしないようにしないと。
 
しかし考えてみると、ここは祖母の故郷で、母の出生地ですね。よく考えてみると、子供の頃の卵焼きには砂糖が入っていました。砂糖がなくなったのは、京都に着てからかな?子供のころの記憶が戻ってきます。おばあさんの言葉にも似ているような。このへんは夏みかんの木が庭に植えてあります。祖父の実家(このホームページの長編詩のモデル)にも、植えてありました。大切にされていましたね。
 
大正の時代、祖父が宮内省の転勤で数年、この浜松に暮らしたそうで、そのとき世話をするひとがいて、祖母と結婚、母が生まれて2歳くらいのときに大阪に連れて帰ったと聞いています。

2005/1/1(sat)
あけまして、おめでとうございます。

本年も、どうぞよろしく、ご贔屓ください。
 
昨年末に静岡県浜松市に移転しました。詳しくは前月の日録に記載してあります。
 
なお郵便局とヤマト運輸には当分の間、転送を依頼してあります。しかしできればメールにて新住所のお問い合わせをお願いします。

※メールはここここをクリックしてください。



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