谷口謙さん
今日届いた詩学を、一部読了。 森哲也さんが、谷口謙さんの監察医として、交通事故死の家族に事情を説明する詩を紹介されていた。今回の詩集を全部読んでいないので、批評を書くわけに行かないけれど、引用された分量だけで、非常に感銘を受けた。 私自身が交通事故を扱う保険代理店を、北西京都と京都南部とで、かなり離れてはいるが、交差しうる仕事をしていた。私の主治医もお名前はご存じでいたほど、谷口先生は、蕪村研究とともに京都では知られた方です。幸いにこの17年間に、私の契約者ないしは自己の相手方は谷口先生のお世話にはならなかったが、おひとりの顧客はもう少し西方なら先生のお世話になっていた。残念にもお亡くなりなっている。 死亡事故・重症・後遺障害の残る事故の悲惨さ、特に劇的に破壊された車の査定など、谷口さんの書かれている状況を洞察されるものにはこと欠かず私も対面してきた。そしてその後の事故処理の陰鬱さ、何かを求めてもう取り返しもつかない、身体の疵と、あるいは加害者としての罪を逃れるかのように毎日か数日置きにかかってくる電話。(たまには殴り飛ばしたくなるほど、横柄な態度を取る加害者も、契約者・相手方を通じて、もちろん居る。) 問題は詩の話なのだが、私自身の体験を通じて、谷口さんがこのような詩を書かれることには、社会で自分が見た事実から書く以外に一種の使命感のようなものはないだろうか、誰かがこれをしなければならないという自負・あるいは生きがいのようなものはないだろうか。あるいは一般に読者(殆どが詩人であろうが、)や評論家はこのことを看過していないかという懸念も生じてくる。 谷口さんには面識もなく、勝手なことを書いています。もし見られるなら、違う点はお許しください。文責は冨澤にあります。
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